お笑い芸人、マジシャン、大道芸人など幅広く活躍するほいけんた。ブレイクのきっかけになった『千鳥の鬼レンチャン』(フジテレビ系)ではカラオケを原曲キーで音程を外さず歌うチャレンジコーナー『サビだけカラオケ』で男性初の“10曲成功”を達成した。そんな彼の原点に迫るーー。【第2回/全2回】

ほいけんた 撮影/イシワタフミアキ

 高校生になると、アクションチーム『THE EIGHTEEN ARTS』に入門。本格的にアクションを学びました。そして卒業が近づいた頃、チームの先輩に「アクションスターになりたいです」と話したところ、演技ができないとスタントマンにしかなれないと教えられました。そこで次は、劇団で演技を学ぼうと思いました。

 とはいえ、ぼくは迷いました。卒業後は就職して家計を助けないと、とも思っていましたから。すると母が、ぼくの背中を押してくれました。「あんたに助けてもらわなくても大丈夫」と。さらには、劇団の養成所のお金まで工面してくれたんです。

 そしてぼくは、『劇団ひまわり』に入団して演技を学びました。順調なスタートだったと思いますが、やがて俳優として仕事をこなすうちに、テレビや映画で「1行のセリフ」や「5秒のアップ」を獲得する難しさを実感。それに、演出家の言うとおりの演技しかできないことに疑問を感じて、自分で演出ができるお笑い芸人を目指すことにしました。

 手品が得意だったこともあり、88年に、世界の“プリンセス天功”ことイリュージョニストの二代目引田天功さんのアシスタントをやることに。天功さんの下で2年ほど働きます。その後、オーストラリアのシドニーで開催される、『ジャパンフェスティバル』に日本の芸人として参加し、バルーンアートなど、路上パフォーマンスの腕も磨きました。

 ぼくって挫折を感じたことがないんですよ。心配性だから試験や勝負事の前はすごく準備をするんだけど、それで失敗したら、分析してまたチャレンジしようって思えるんです。いつかはできるはずって。誰かと競うのは好きじゃなくて、常に自分自身と競っているから、いつまでも楽しく続けられるんです。

 テレビにはあまり縁がありませんでしたね。転機が訪れたのは、ずっと後、40代になってから。明石家さんまさんのモノマネがきっかけです。