役者として父親・麿赤兒と比較されたことも

──そして父・麿赤兒さんのことも、当時はどんな存在に思っていましたか。

「全く同じジャンルで歩んできたわけではないので、広い意味での芸術家の先輩として尊敬しています。周りからいやでも比較されるのは事実ですが、そこからの反発心を原動力にできたのかな。
 やっぱり売れていないときは“お父さんはあんなにすごかったのにな”なんて、舞台の演出助手に嫌みっぽく言われたこともありましたよ(笑)。時代も時代だったから、ていねいに教えてもらえないのも当たり前。でもそんな環境が刺激になっていたようです」

──ネガティブな環境も、反発力に変えてきたと。

「若いころ、何度もNGばかり出されるのに、監督が何も教えてくれないということがありました。“もう1回”ってずっとリテイクばかりで、自分が周りを納得させなければ終わらないんです。大きな役でもなかったから、“どうせ俺の名前も覚えてないだろう”と思いながら最後に監督にあいさつに行ったら、“大森くん、ありがとう”って深々と頭を下げてくださったんですよね」

大森南朋 撮影/有坂政晴

「そのとき、“自分はなんて子どもだったんだ”と、急に恥ずかしくなってしまって。監督の2倍深く頭を下げて帰ってきました。そうして現場を教えようとしてくれていたことに、いまとなってはすごく感謝しています。そういった経験で、反骨心も柔らかくなっていきました。」