70年代に清純派として人気を集め、多くのドラマ、映画で活躍した俳優・仁科亜季子さん。芸能一家で育った仁科さんだったが、これまでの人生は実に波乱万丈ともいえる。特に90年代以降は4回もの大病に見舞われたにもかかわらず、その都度試練を乗り越えてきた。そんな体験を経て、なお現在も現役で活躍し続ける仁科さんのCHANGEとは──。【第2回/全4回】

仁科亜季子 撮影/冨田望

 俳優としてベテランの域に達する仁科亜季子さんは祖父が舞踊家・花柳壽太郎、父が歌舞伎俳優・岩井半四郎、母が俳優・月城彰子(元SKD男役のトップスター)、姉が岩井友見といった芸能一家の出身である。

──ご家族の活動を見てこられて、俳優をやってみたいという気持ちはなかったのでしょうか?

「全くなかったです。小さい頃からの夢は“お嫁ちゃんになる”でしたから(笑)。実は私の姉の付き人をやっていたことはありました。エプロン掛けて、鞄とか全部持って。当時は髪も短かったので、京都の撮影所に行って、カメラや照明の前に知らないうちにいると“おい、そこの坊や、邪魔だ。どけっ!”なんて怒られたこともありましたね」

ーー俳優になろうと思ったきっかけは?

「元々は絵描きさんになりたかったんです。幼い時から絵が好きだったので。美大に行くつもりで予備校にも行かせてもらいました。でも、そこで他の生徒さんのデッサンを見せてもらった時に、私のレベルではとても及ばない、“無理だな”って思ったんですよ。皆さんすごくお上手で“この人が三浪しているの⁉ なんで、受からなかったの!? ”という人たちばかりだったんです。ちょうどそんなタイミングでNHKの関係者の方から、ちょっとやってみないかってお誘いを受けたんです。当時の私はちょっと社会勉強をしてみようか……ぐらいの感覚でした。俳優になりたいと強く思っていたわけではなかったんです。当時、姉のマネージメントをやっていらした方にオーディションに連れてってもらったら、いきなりカメラテストでした(笑)」