現・長野市長の荻原健司を双子の兄に持つ。スポーツキャスターで元スキーノルディック複合選手の荻原次晴。双子の兄を常に意識してきた彼の「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

スキーでノルディック複合を始めたのは、やはり生まれた環境が大きかったと思います。
僕と双子の兄の健司の上には3人の姉がいるのですが、そのうち1番上と3番目の姉は中学時代にクロスカントリーの選手で、全国優勝しているんです。持久力のある心臓の家系なんですかね。
とはいっても、僕も健司も、最初は地元の体操クラブに入りました。自分でいうのも変ですが、僕は器用な選手で、体操では健司よりうまかったんです。それで、小5の頃になると、もう体操は飽きてしまって、学校の裏山でスキージャンプを始めるようになりました。兄の健司はそのまま体操を続けていました。地道に継続するというのが、健司の性格なんですよ(笑)。
そのうち、健司もスキーをやるようになり、中学生になると、2人とも全国大会に出場するようになって、中3では全国で1・2位となりました。
僕の育った群馬では、どういうわけかジャンプをする選手は雪上を走るクロスカントリーもやる、という伝統があって、僕らも複合選手になってましたね。2人とも、楽しいのはジャンプのほうでしたが、クロカンもそこそこ走れたんです。
そのうち、「群馬にスキー複合でとんでもない双子がいる」と評判にもなり、地元の長野原高校に進学しました。