昨年放送された『濱田祐太郎のブラリモウドク』(ABCテレビ)が2025年の日本民間放送連盟賞で高く評価され、6月には初の自著『迷ったら笑っといてください』(太田出版)を上梓した、先天性の視覚障害を持つお笑い芸人・濱田祐太郎。18年に、『R-1ぐらんぷり』第16代王者に輝いた実話漫談の切っ先は、テレビ制作者に視聴者に、爆笑と少しの「居心地の悪さ」をもたらす。盲目の濱田にしか持ちえない経験と視点で、自身の過去における「THE CHANGE」を聞いた。【第2回/全5回】

濱田祐太郎が芸人になった日。それは2012年の1月のことだった。
場所はR-1グランプリの予選会場。初めて舞台に立って客前でネタをやった。まだ吉本に所属しておらず、そればかりかお笑い養成所のNSCにも入っていない素人の時代だ。しかし、その瞬間に芸人の第一歩を踏み出した感覚になったという。
「それまで頭の中で“これしゃべったら面白いんちゃうんかな”とぼんやり思っていたことを実際にお客さんの前で披露したら、笑いが起きたんです。その時、自分の面白いという感覚はそこまで大きくずれているわけではないという自信を持てましたね」
初舞台にかかわらず反応は上々で、濱田はそのまま予選を勝ち上がっていった。
「1回戦か2回戦で落ちるようなら才能ないから芸人やらん方がええやろ、でも1回戦ぐらいやったら通るやろ、と考えていたんですよ。そうしたら落ちていくプロの人が山ほどいる中、両方とも通って3回戦に進んだあたりで、“これは一回芸人を目指してみてもいいんじゃないか?”と思いました。結局3回戦の補欠合格で準決勝に行けたので、芸人を目指してみるのは可能性としては全然あるなと。もし1回戦で落ちていたら? それはそれで目指していたと思います。NSCに願書を出した後だったので」
初舞台から濱田は身の周りに起きたこと、そこで感じたことを語る漫談を行っていた。ピン芸人は設定に入った一人コントやフリップを用いたネタが多く、素の主観を押し出して話を進める漫談家は数少ない。しかし、濱田はそのスタイルでやることを決めていた。