まだまだ男女平等の社会とは言えない
私は山形から上京して、舞台芸術学院で演劇を学んでいるときから、作・演出をしていました。学校では男女平等で格差を感じることはなかった。
でも卒業して、20歳でおじさんばっかりの世界に飛び込むと、それはもう大変でした。作・演出をやっているのは、基本的にどの劇団でも男しかいなかったんです。前例がなくて、私が最初なんですよ。だから私はいろいろと言われましたよ。「女のくせに」とか「だから女は」とかね。酒も付き合わないと怒られるから、毎晩、始発電車まで帰れませんでした。
お金がないので酒屋の立ち飲みで、塩を舐めながら飲んだりしました。先輩たちがおごってくれるのでそれは助かりましたが、「だから女は」と言われるのが嫌だと思いながら、いつも始発まで付き合っていたんです。でも、そういう社会だったから我慢するしかなかった。仕事をするためにね。男と同じようにするしかないんですよ。「バカヤロー」って言われても。私はとにかく仕事がしたかったから。
少しずつ実績を積んでいくと、私は「女・唐十郎」とか「女・つかこうへい」って書かれることが多くなっていきました。でも、私は一人の強い劇作家なのに「女」と書かれることが不思議でした。当時は女が作・演出をすることが珍しかったからかもしれませんが、他の女性とひとくくりにされて作家さんと一緒に、『女流劇作家特集』っていうのに組み入れられるのも納得がいかなかったです。必ず「女」を入れられるんですよ。この言い方は、女性が男性と対等じゃないって見方じゃないですか。
法律としてはさまざまなものが整備されてきていますが、実はこれって今も、本質的には大きく変われていないと思うんですよ。だから全然、まだまだ男女平等の社会とは言えない。
劇作家の別役実さんが、講演会で「今、女子供が好きなような芝居ばっかりはやって困る……」って言ったことがありました。ちょうどそのとき、私は袖にいたので、壇上まで出て行ったんですよ。「別役さん、どういう意味ですか? 女子供が気に入ってる芝居ってどういうことですか」って。そしたら、別役さんは「いやいや、そういう意味じゃなくて」って……。めちゃくちゃ驚かせたこともありました。
(つづく)
渡辺えり(わたなべえり)
1955年生まれ。山形県出身。劇作家、演出家、俳優、歌手。舞台芸術学院卒。1978年『劇団3〇〇(さんじゅうまる)』を結成。主宰・劇作家・演出家・女優の4役を務めた。『ゲゲゲのげ―逢魔が時に揺れるブランコ』で第27回岸田國士戯曲賞を受賞。映画では『Shall We ダンス?』で 報知映画賞助演女優賞、日本アカデミー賞 優秀助演女優賞を受賞、また『おしん』『あまちゃん』(ともにNHK)など多くのテレビドラマにも出演している。
『70祭 ERI WATANABECONCERT~ここまでやるの、なんでだろう?~』
渡辺えりの芸能生活の集大成的コンサート。あまりに豪華なゲストが集合するこのイベント、詳しくは『オフィス3◯◯』HPをチェック!
会場:東京芸術劇場プレイハウス
日時:12月20日(土)17:00開演、12月21日(日)14:00開演