2011年に女優としてデビュー以来、数多くの映画やドラマに出演し若手演技派女優の地位を確固たるものとしている門脇麦。NHKの連続テレビ小説『まれ』(15年)、大河ドラマ麒麟がくる』(20年)での演技でも大きな注目を集めた。女優人生の中で訪れた「CHANGE」について語ってもらった。【第5回/全5回】

門脇麦 撮影/松野葉子

 門脇麦が脚本にほれ込んだと言う『ほつれる』。どこにその魅力が存在しているのだろうか。

脚本を読んで出演できることを喜んだ

 自然なセリフや繊細なやりとりなど、観ているほうが映画だということを忘れてしまいそうな今作だが、門脇さんが最初に『ほつれる』の台本を読んだときはどう感じたのか。

「監督の、加藤拓也さんの才能に驚きましたね。なにげない日常会話なのに、読んでいるだけで心がヒリヒリしてきました。緊張感を保ったまま、意外な種明かしがあったり……。最後まで考え抜かれた緻密な会話劇ってあまり見たことがなかったんです。読んでいるだけで感情を揺さぶられるように凄くて、自分がこの作品に関われることが嬉しくてテンションが上がりました」

――なかでも印象深いシーンはありますか?

黒木華ちゃんが演じている親友の英梨に、綿子が夫の話をしているシーンが出てくるのですが、一見、意味がないような台詞なのに、あとで0.5ミリ単位の伏線を回収しているんです。それを感じさせない加藤監督の演出もすごいなって思いますね」

 本作では、16年『アルビノの木』や、21年『ドライブ・マイ・カー』といった名作の音楽を手掛けた石橋英子が劇中音楽を担当している。改めて完成した映像からも、総合芸術のような、緊迫感ある様子が伝わってくるが、門脇さんは、観客に『ほつれる』のどういう部分を見てもらいたいのだろうか。

「登場人物たちはみんな普通の人たちで、強い力で追い込まれているわけではないのに、すごく切羽詰まったような感じで追い込まれているんですよね。観ている方にもそれが伝わってくるんじゃないかと思います。加藤監督の演出が、ほとんどワンカットで構成されているので、そのような緊張感が生まれているのかもしれないです」

 俳優という生き物は、映像に写っていないシーンでも、その人物を演じ続けなければいけない。今作では、門脇さん演じる綿子が出演していないシーンがないという。

「映画って、回想シーンとか主人公が出ていないシーンもあるじゃないですか。でも『ほつれる』は、綿子がいないシーンが1シーンもなくて、ずっと最初から最後まで出ているんです。

 加藤監督は、カメラワークにすごくこだわりがある方なので、引きのカメラで私の顔が見えないシーンもあります。主人公がなにを考えているのかわからない演出があるからこそ、観客の集中力を絶やさないでいられるのだと感じました。」

 門脇さん演じる綿子は、パートナーがいながらもほかの男性を好きになってしまう難しい役柄だ。演じながらも、どのような葛藤を感じたのか。

「映画って、主人公にどこか共感したいと思うんですけれど、綿子はあまり共感したくないキャラクターなんじゃないかなって演じていて感じました。でも映像を通して、綿子と時間や空間を共有している感じを抱いてほしい。一緒に、綿子の感情の波をウェーブして欲しいです」

 観ている人たちの心に刺さるような、冷めきった夫婦間の空気感をどのように意識して演じたのだろうか。

「撮影の間は、心が無になっていましたね。何も考えられなかったです。今回は撮影に入る前に、2週間ぐらいリハーサルがあったので、どのシーンも100回ほど演じていて、ちょっと飽きてしまっていたのかも(笑)。もしかしたらそれが監督の意図だったのかもしれませんが、あの冷めきった空気感を作り出したのかなと思います」

――今回、演じることで難しかった部分はどういう点だろうか。

「映画の撮影って、“自分の部屋”という設定でも実際は美術さんがつくり込んでくれたセットだったりするので、そこに突然ポンっと入って、“10年以上生活しています”っていう雰囲気を出さなければいけない。

『ほつれる』は2週間、リハーサルの期間をいただいて、毎日のように撮影現場のマンションに通っている状況にどんどん慣れていくのがわかりました。セリフも完全に頭の中に入っているから間違えることもないし、本当にその環境に染まっていった感じが作品と合っていたと思います」