1999年の俳優デビューから、25年目を迎えたオダギリジョー。映画『血と骨』、『ゆれる』、ドラマ『時効警察』シリーズや、演出も務めた『オリバーな犬、 (Gosh!!) このヤロウ』、NHKの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』とさまざまな顔を見せてきた。さらに監督・執筆業やミュージシャンとしても活動し、決してひとくくりにできない男である。盟友・石井裕也監督と5作目のタッグを組んだ映画『月』は大きな問題提起の一作となった。そんなオダギリさんのTHE CHANGEを探る。【第2回/全4回】

オダギリジョー 撮影/三浦龍司

 ドラマ作品にも数多く出演してきたオダギリさん。それでもなお映画人としてのイメージが強い。オダギリさん自身、特に映画は「“同志”的な結びつきが強くなる感覚がある」と話す。

「役者だけでなく、スタッフもそうですね。映画の場合は、そうした意識になりやすいと思います。テレビと映画に優劣をつけるつもりはないですが、テレビに比べて、予算も時間もない映画の現場では、お互いに助け合いながら茨の道を越えていく、戦友的な関係ができやすいんだと思います」

 ところで、役者であり、監督としても活動しているオダギリさんが、自身が作り手、表現者であることを、より自覚する瞬間はあるのだろうか。

 「常に思っているわけではないです。というかむしろ“自分は表現者だ”と、思ったことなんてないかもしれないです」

  意外に思える発言だがその真意は、深いところにあった。

「作らないこと、表現しないことが、まずちょっと想像できない。表現のない世界といったことを考えられないです。だって、たとえ職業が変わったとしても“表現”自体はできますよね。それぞれの仕事のなかで。だから、僕はどんな職業に就いていたとしても、きっと何かを表現していたんだろう、と思います」

 行きつくところ、すべて表現ではある。アートでなくとも。

 「そう、アートでなくても。結局、世の中のことって、すべてものづくりに帰結しますよね。その中で自分がどんな職に就いたとしても、何かしらの表現をしようとしたんだろうと思います。

 すべては需要と供給で成り立っているわけですが、自分の場合は、たとえそれが社会に求められていようがいまいが、“とりあえず表現だけはさせてくださいね”というタイプの人間だと思いますね」

 そう言って笑うオダギリさんから生み出されるものは、確実に人々に求められている。

オダギリジョー(おだぎりじょー)
1976年2月16日生まれ。アカルイミライ』で映画初主演。以降、『メゾン・ド・ヒミコ』(05)、『ゆれる』(06)、『悲夢』(09)、『宵闇真珠』(17)など作家性を重視した作品に出演し、国内外の映画人からの信頼も厚い。19年、『ある船頭の話』で長編映画初監督。第76回ヴェネツィア国際映画祭ヴェニス・デイズ部門に日本映画史上初めて選出され、同年『サタデー・フィクション』(日本公開は11月3日)がコンペティション部門に出品。待機作に「僕の手を売ります」(全10話)がFOD/Amazon Prime Videoにて10月27日(金)より配信開始。

■作品情報 
『月』10月13日(金) 全国公開
■出演:宮沢りえ、磯村勇斗、鶴見辰吾、原日出子高畑淳子、二階堂ふみ、オダギリジョー
■監督・脚本:石井裕也『茜色に焼かれる』『アジアの天使』
■原作:辺見庸
■音楽:岩代太郎
■企画・エグゼクティブプロデューサー:河村光庸
■配給・制作プロダクション:スターサンズ
■制作協力:RIKIプロジェクト
■コピーライト:(C) 2023『月』製作委員会