サムソン宮本は夢を1つずつ具現化していった
サムソン宮本さんは新根室プロレスの立ち上げや数々の大会や試合の成功、病気との闘い、死を受け入れることにいたるまで、なぜ前向きであることができたのだろう。
「おそらく、目標が定まっていたからだと思います。その1つが、新根室プロレスの大会を東京の新木場で開催すること。このような夢を1つずつ具現化していった。一時、離れていた家族も戻ってきた。ファンや仲間たちも次々と増えてきた。だから、病と闘うことにも、死を受け入れることにも前向きになれたんじゃないでしょうか。
医師から“余命3か月”と言われた時、僕には“まだ、3か月も生きられるぞ”と笑っていました。あの頃は人生を生ききった、やりたいことをやりきった思いに到達していたのかもしれませんね。人前では、絶対に苦しそうにはしない。我々、家族にも……。僕としては兄が病院で寝ている姿を見た時はつらそうに見えて、苦しかった。
自慢の兄貴であり、新根室プロレスのすばらしいリーダーでした。兄も僕も、子どもの頃から大のプロレスファン。新根室プロレスの立ち上げ時から、一緒に力を合わせてきた。いつも、生きる道しるべでした。兄の背中を見て、生きてきました。兄のことを思い起こすと、残された人生の時間をどう生きるか、迷いがなくなる。
兄は次々と目標に挑戦し、変わっていくことができた。弱い自分にどんどんと打ち勝っていくことで好きなことができるようになり、人生を楽しむ。その尊さをわかっていたのだと思います。人生1度だから、バカにされても、好きなことをしないとダメだ、とよく言っていました。僕らもそうありたい」