「吹き替えライブをやりたい」という主催者からのオファー
1978年からアニメの声優を努めていた戸田さんが、より子どもと密な関わりを持つようになった背景には、1988年から放送しているアニメ『アンマンパン』の存在がある。起用のきっかけは、監督と原作者のやなせたかしさんが、戸田さんの宣材テープを聞いたことだったという。当時、難航を極めていたというアンパンマン役のオーディションに、戸田さんは不参加だった。にもかかわらず、戸田さんに白羽の矢が立ったのだ。
映画祭参加のきっかけも、声優として呼ばれたことだった。
「元々は、"吹き替えライブをやりたい”という主催者からのオファーで呼ばれたんですよね。最初は、一発勝負でできそうなものということで、短編作品でやっていました。それでやっていくうちに、”みんなの集中力と練習量があれば、100分超えの作品もいけるんじゃないか?”ということになって、長編作品でもやるようになりました」
初めての長編挑戦はドイツの実写映画『小さなバイキング ビッケ』。海賊に憧れる少年の冒険物語だ。
「”やればできるんだ!”という、やりきったときの達成感は今でも覚えています。みんなすごい緊張をしながらやりましたが、お子さまだけじゃなく、お父さんもお母さんも、お客さまは最初は物珍しさから観ているんです。次第に、映像の力が後押しして、みんな食い入るように観るようになって。危ないシーンになると子どもたちが、”ああー!”と声をあげるんです」
子どもの興奮がリアルタイムで伝わる瞬間。「すっごい楽しいな!」と、戸田さんも興奮したという。
「普段、吹き替えスタジオでやっているときはそういうことは感じられませんからね。ライブでやると、子どもたちは飽きずに食い入るように観ていて、ハラハラする場面で声をあげるんです。すっごくうれしかったですね」
子どもたちの声に後押しされるように、戸田さんはいまも週1回、『アンパンマン』アフレコのためにマイクの前に立ち続ける。
戸田恵子(とだ・けいこ)
1957年9月12日生まれ、愛知県出身。1975年に「あゆ朱美」の芸名でアイドル演歌歌手デビュー。演出家の野沢那智に声をかけられ77年より劇団・薔薇座に入団。いくつものミュージカル作品で賞を受賞する。声優活動のスタートは79年『機動戦士ガンダム』マチルダ・アジャン役から。アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』(三作目)の鬼太郎、『キャッツ・アイ』の瞳、『きかんしゃトーマス』のトーマス、『それいけ!アンパンマン』のアンパンマンで国民的声優に。洋画の吹き替えではジュリア・ロバーツやジョディ・フォスターでおなじみ。1997年に三谷幸喜脚本作品『総理と呼ばないで』(フジテレビ系)で連続ドラマデビュー。名バイプレイヤーとして毎クール活躍。昨年は『うちの弁護士は手がかかる』(フジテレビ)を含む3作品に出演した。