気がつけばいつの間にか訪れていた人生の分岐点。「あのときああしておけば」「もしも過去に戻れたら」――? かつての分かれ道を振り返り、板尾創路がいま思うこと。(第4回)

板尾創路 撮影/川しまゆうこ

「相方を探さなきゃ」と思うも誰と組んでいいかわからない

 吉本興業のタレント養成所であるNSCに通っていたとき、定期的に生徒による寄席があって、同じクラスの生徒とコンビを組みました。そのひとつがホンコン・マカオでした。ただ、寄席があるたびに相方を替えて、コンビが定着することはなかったんです。

 ピンでやる生徒がいなかったので、「誰かと組まなきゃな」と思ったくらいで、卒業後もコンビを続けようとは考えていなかったんです。同期のほんこんさんや今田耕司くんとプライベートでは仲が良かったけど、組んだことはありませんでした。

 後半はあまりNSCに行ってなかったし、いまのような卒業公演もなかったと思います。ふわーっと卒業して、所属する劇場が決まるわけでもなく、オーディションやエキストラの仕事があれば吉本から連絡がくる、という状態でした。

 NSC卒業後、ほんこんさんと今田くんが組んでダブルホルモンズを結成します。面白いかと聞かれたらなんとも言えないけど、2人の中で「笑いの正義」のラインはしっかりあったような記憶があります。僕も「相方を探さなきゃあかんのかな」と思い始めたけど、卒業してから連絡をとってる人も少なく、誰と組んでいいのかわかりませんでした。

 ダブルホルモンズはすぐに解散します。夜間のバイトをしていたこともあって、今田くんがネタ合わせによく遅刻していたらしいです。電話しても出ないから今田くんの家に行ったら寝ていた、ということも何度かあったようで、ほんこんさんから解散を切り出しました。

 心斎橋筋2丁目劇場ができるにあたって、プロデューサーの大﨑洋さんがNSC卒業生を招集してオーディションを開いたんです。僕はこのオーディションに受かって、こけら落とし公演として行なわれるダウンタウンさん主演の「心斎橋二丁目物語」に出演することになりました。

 その頃、ほんこんさんが新しいコンビを組んで、僕に「ホンコン・マカオというコンビ名にしたいんやけど」と言うから、僕は快諾しました。NSCのとき、僕はホンコン・マカオのホンコンでしたから、不思議な感覚があります。

 2丁目劇場で、僕はお芝居に出て、ほんこんさんはホンコン・マカオでネタをやって、今田くんもピンネタをやって、という日々が続きます。3人ともテレビに出演する機会が増えてきたんですけど、ほんこんさんの相方が「この世界をやめたい」と解散することになって。ほんこんさんは石田靖くんとコンビを組んだものの、デビューには至りませんでした。

 僕は「このまま数カ月に一度の芝居を続けていても埒が明かない」と思い始めて、コンビでネタをやりたがっていたほんこんさんに「試しに組んでみぃひん?」と声をかけたんです。ほんこんさんのうれしそうな顔を覚えてます。