北海道移住で変わったことは?
――実際に移住されてからどのような苦労がありましたか?
「“雪国あるある”みたいなことには苦労しました。積雪で家から出られないとか、毎朝の雪かきもありますね。
玄関を出てからも道が多くの雪で覆われているので、足でそっと雪を押しのけて、まずは自分の歩く道を作る、みたいなことも初めての経験ですし、吹雪くとホワイトアウトになって外も歩けない状態になってしまうこともあります。そんなときは子どもを連れて歩くなんて絶対にできないですから、そういう大変さはありますね。
あとは苦労ということでもないのですが、芸能活動をしていた私が来たことを驚く方もいる中、幼稚園でママさんたちが温かく受け止めてくださったことはありがたかったです」
――お仕事的にはどういった影響がありましたか?
「現実的なことを言ってしまうと、北海道でお仕事をするのはすごく難しいんです。特にテレビの仕事、ドラマも含めていままで自分が東京で20代に活躍させていただいていたような分野の仕事の量は本当に少ないんですよね。そんなに多くのローカル番組もないですし。それに北海道に来たばかりの頃には子育てを第一に優先していたので芸能活動をたくさんしていくことは頭になくて。
移動してする仕事といえば大阪でやっていたラジオの生放送くらい。それ以外で道外へ移動することも少なかったですね。土地を越えてお声かけいただいたこともあるのですが、離れられない自分がいて、思っていた以上に私は器用じゃないんだなと感じたんです」
――タレントとしての活動がマルチだっただけに、なんでもこなすイメージでした。
「周囲からはバリバリ仕事をして家庭との両立ができるイメージがあるようでしたが、まったく両立なんてできませんし、基本的に家族を優先していたんです」
――最近だとHTB開局55周年ドラマ『弁当屋さんのおもてなし』に声だけでの出演もありました。そして『北海道漁協女性部応援大使』としてNHKの番組で道内の港をまわったりもされていますね。さらにトークショーやYouTubeのご出演など、テレビ以外の活動も。
「お声かけいただいたことを真摯に対応してやらせていただいています。私の場合、何かアピールすることも全然なくて、たとえばYouTubeの動画出演でお声かけいただいたら「それだったら話せるね」と参加している感じです。大きな仕事とか小さい仕事とかそういうことで仕事を選んでるわけではなくて、この位置だったら私にもできるかなという考え方をしています」
(取材・文/松本浩次)
千堂 あきほ(せんどう あきほ) 1969年4月5日生まれ、兵庫県出身。 1990年に歌手デビュー。『オールナイトフジ』『東京ラブストーリー』(ともにフジテレビ系)や『マジカル頭脳パワー!!』(日本テレビ系)など人気番組に多数出演。 00年に結婚し、現在は2児の母。