歳を増すごとに人間としての深みが濃くなっていく感のある俳優・映画監督 奥田瑛二。1980年代のトレンディドラマの代名詞ともいえる『男女7人夏物語』をはじめ、『海と毒薬』、『千利休 本覺坊遺文』、『式部物語』などの海外での評価の高い作品にも出演。93年に公開された映画『棒の哀しみ』で国内で多くの賞を受賞し、その印象が強いこともあってか、アウトロー的なイメージが強い。一方では映画『少女 an adolescent』、『るにん』などで監督を務めるなど多岐に渡り活躍続ける奥田にとっての「THE CHANGE」とは──?【第3回/全4回】

奥田瑛二 撮影/有坂政晴 ヘアメイク/田中・エネルギー・けん

 愛知県を故郷に持つ奥田さんが映画俳優を夢見たのは小学5年生の頃だった。ダンディなスーツ姿でその当時の具体的な感情込めつつも、熱く語ってくれた。

「僕は長男で年子の姉がいて、4つ違いの弟がいるんです。父は氷屋と牛乳店を営んでいて母が喫茶店を手伝ったりしていました。弟は絵描き志望で、僕は『丹下左膳』の大友柳太朗の芝居を観て映画俳優になりたいと思っていたんです。それで、映画俳優には何が必要かと思ったら、それなりの身長と体の丈夫さじゃないかと思ったんですね」

 そう考えた奥田少年は中学時代には野球をやり、高校生時代にはラグビーをやり、その他にも体の鍛錬をやり続けていた。

「高校三年生の時に東京へ行きたいと親父に言ったんです。そしたら“たわけーっ!”って一喝されまして。“何とろくさいこと考えとるんだ!お前は名古屋の大学行きゃええんだわ”って言われたんですよ」