歳を増すごとに人間としての深みが濃くなっていく感のある俳優・映画監督 奥田瑛二。1980年代のトレンディドラマの代名詞ともいえる『男女7人夏物語』をはじめ、『海と毒薬』、『千利休 本覺坊遺文』、『式部物語』などの海外での評価の高い作品にも出演。93年に公開された映画『棒の哀しみ』で国内で多くの賞を受賞し、その印象が強いこともあってか、アウトロー的なイメージが強い。一方では映画『少女 an adolescent』、『るにん』などで監督を務めるなど多岐に渡り活躍続ける奥田にとっての「THE CHANGE」とは──?【第4回/全4回】

奥田瑛二 撮影/有坂政晴 ヘアメイク/田中・エネルギー・けん

 

 議員会館に身を置くうちに、政治に興味をもちだした奥田さんは18歳の時に20人ぐらいの学生を集めて政治結社を発案したという。そこでの顧問が当時、外務大臣を務めていた三木武夫さんだった。

「安藤君、君が言い出したことだから、本来なら君が会長なんだろうけど、君はまだ1年だし、どのポジションが良いかな……って、4年生の先輩が言い出して。副会長は4年生がやるから、君は会計係を任せるよってことになったんです。でも僕としては楽しかったですね」

 そして大学2、3年生の頃になると、「俺は何しに東京に来たんだろう」と改めて立ち止まることがあった。そこで、本来の目的であった「俳優になる」ということを思い出して議員宿舎を出ることとなった。

「それからはバイトをし始め、どうにかならないかなって色々考えたんです。で、劇団を受けようと思ったんです。当時、僕が知っていた劇団は俳優座と文学座と民藝の3つ。俳優座に電話したら大学(桐朋学園芸術短期大学)になりましたって言われ、文学座はもう(募集は)終わりましたって言われ、民藝では募集は隔年で今年は募集していませんって言われて。どうしようって思った時に、高校の先輩に俳優の天知茂さんがいたことを思い出して、天知さんの自宅の住所を調べて探して行って、付き人にさせてもらった……というのが、僕の俳優としてのキャリアのスタートでしたね」