監督と俳優の二刀流

 天知茂といえば刑事ドラマ『非情のライセンス』の現代的なクールなキャラが直ぐに思い浮かぶが、当時天知は多くの舞台(時代劇)にも出演しており、着物の着付けや所作はもちろん、芸能界での行儀作法など多くを学んだ。

 やがてドラマに出演するようになると、76年に放映された特撮ドラマ『円盤戦争バンキッド』でドラマ初主演を務め、79年に公開された藤田敏八監督の『もっとしなやかに もっとしたたかに』で映画初主演を果たす。その後、着実に俳優としてのキャリアを積み上げ、 熊井啓監督の映画『海と毒薬』(1986年公開)で、太平洋戦争末期を舞台に米軍捕虜への臨床実験を行う医学部生研究生・勝呂役を熱演し、毎日映画コンクール男優主演男優賞を受賞。そして映画『千利休 本覺坊遺文』(1989年)では千利休の弟子の本覺坊を演じ、日本アカデミー賞主演男優賞を受賞した。そして、1994年に公開された神代辰巳監督の映画『棒の哀しみ』でブルーリボン賞をはじめ8つの主演男優賞を獲得する。自身の中で映画俳優としてひとつの頂点を極めたと感じた奥田さんは、50歳になったら監督をやると決め、「監督を天職とし、俳優を適職とする」こととした。

 それから、今日までの四半世紀ほどは監督と俳優の二足の草鞋で生き抜いてきた。その間、自身の中で俳優業に対して向き合い方に変化があったという。

「ややもすると、監督作品の一作目でこき下ろされたら、奥田瑛二という名前が共倒れになっちゃう。だから命懸けでもあったんです。その命懸けの、いわゆる信念を持っていまも生きているんです」

 監督という天職ではメッセージを発信していく。俳優と監督、この二股のライフスタイルは奥田さん自身のメンタルの部分でも大い貢献してる。

 奥田さんが尊敬の念を抱く二人の監督、一人は『愛妻物語』や『墨東奇譚』で知られる新藤兼人さん、もう一人は『アブラハム渓谷』、『家路』で知られるとポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラさんはともに100歳を越えて(新藤さんは享年100歳、オリヴェイラさんは106歳)も映画人としての矜持を全うした。この二人の大いなる先達者がいるから奥田さん自身も監督としては「まだまだ」という思いがある。

「俳優としては、最近は権威主義者とか大きなコンツェルンのCEOとか検事正とかをさせてもらっていて、一度そういう役を演らせてもらうと同じような役が続くわけです。歳を取ってくると人生経験も豊かだから自然とそういう役が増えて、それに伴い長ゼリフが、それも説明調のものが多くなってきた。それで68歳ぐらいの時に俳優として原点に立ち戻ろうと思った矢先に『洗骨』という主演映画の話が来たんですね」