コロナ禍、上の世代にも下の世代にもかみついたニューヨークは、気がつけば「テレビの登場人物」としてサバイブしていた。劇場、テレビ、YouTubeを三角跳びし続けるニューヨークの生きざまを聞いた。

ニューヨーク 撮影/武田敏将

――2013年から単独ライブを毎年開催しています。準備は大変だと思いますが、「単独ライブはやらなきゃ」という気持ちがあるんでしょうか?

屋敷「そうですね。僕らのことが大好きなお客さんが集まってくれる機会なので、大切にしたいと思ってます」

嶋佐 「去年は全公演を合計すると、1万人来てくれたんです。チケットを買って観に来てくれたお客さんを前にするとうれしくなるし、千秋楽が終わったあとは達成感がありました。どれだけテレビに出てもニューヨークのことを好きな人がいるのかピンとこないけど、単独ライブではその存在を実感できるんです」

――爆笑問題だったら「太田光さんの家で」、バナナマンは「ホリプロの稽古場を借りて」という話を聞きますが、ニューヨークはネタ作りや稽古をどうやって進めているんですか?

屋敷「けっこうギリギリまでリモートで作家さんとネタを練ってます。実際に稽古するのは本番の3、4日前。だから、初日はかなりバタバタしてますね」

――公演していくなかでネタがブラッシュアップされていく、と。

屋敷「去年はそうでしたね」

―― 毎年、漫才とコントの両方を披露していますが、ニューヨークとしてのポリシーみたいなものがあるのでしょうか?

屋敷「ポリシーというほどのものじゃなくて、両方やることが当たり前という感覚なんです」

嶋佐「結成した当初は漫才ばかりやっていたけど、すぐにコントもやるようになって。それからは漫才とコントを同じくらいの割合で作ってます」