2014年に『恋歌』で第150回直木賞を受賞し、今や時代・歴史小説家として確固たる地位を築いている朝井まかてさん。だが、作家デビューを果たしたのは49歳と少々遅咲きだった。朝井さんの人生における「THE CHANGE」とは。さらに、新たな挑戦として、大阪の作家仲間と挑む「文士劇」旗揚げ公演についても話を伺った。【第1回/全3回】
大学卒業後、大阪の広告会社でコピーライターをしていた朝井まかてさん。結婚後は、夫が立ち上げた企画制作会社でライター兼ディレクターとして活躍し、仕事も家庭も順風満帆。生活には何の不満もなかったが、40代後半に差し掛かり、ふと「小説を書こう」と思い立ったという。
「書きたい気持ちは、それこそ小学生の頃からありました。だけど、書けなかったんですよね。幼い頃からの親友の夫が小説を書きたい人で、『僕が1章を書くから、続きを書かない? ひとつの小説を交代ばんこで書こうよ』と言うので書いてはみたものの、ド素人にそんな難しいことができるはずもなく。それぞれが好き放題に書いて、お互い微妙な感じで終わりました(笑)。
でも、ある時、はたと『私はいつまで他人様が書いた小説を読んでいるんだろう』と思ったんです。身近な人が若くして亡くなったこともあって、『ほんまに自分がやりたいことをやらなあかん』と。でも、幼なじみの夫と交代で小説を書いた時に、自分ひとりでは書かれへんなと気付いたんですね。そこで、大阪文学学校に入ることにしました」
大阪文学学校は、1954年に設立された小説や詩、エッセイの老舗校。在校生が作品を持ち寄り、感想や意見を述べ合う合評形式の授業を行っている。田辺聖子さんをはじめ、数多くの作家を輩出したことでも知られている。
「なにより大きかったのは、締切があること(笑)。根がものぐさなので、やっぱり締切がないと書かれへんのですよ。
しかも、入学時に『職業:コピーライター』とバカ正直に書いたもんやから、講師に『あんた物書きだろう。さっさと書いて出さんか』と言われてしまって。そう言われると、こっちも物書きの端くれですから『ええ、出します!』と。
そうやって“小説を書き始めた”ことが、私の人生最大の『THE CHANGE』でした」