成功をもたらした「キャラ変」
ーーきっかけは映画だったんですか。
「実際に僕は当時、デヴィッド・ボウイみたいになりたいと思っていたし、ヴィジュアル系がはやってましたし。ヴィジュアル系とグラムロックは異なる世界観ではありますが、お金を惜しまず先行投資でやろうと、ここからガラッとCHANGEしたんです」
宇宙海賊にたどり着くまでには「4キャラを経た」といい、最初は「31世紀からきたロックスター」。ギターを傍に置き、ダジャレ系のネタを披露した。
ーー1999年頃ですよね。ヴィジュアル系シーンが最盛期を迎えた年で、DIR EN GREYが3枚同時シングルを発売して、そのうちの1曲『残ーZANー』を『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で披露して、血みどろの演出で、健全なお茶の間を騒然とさせた年でもあります。
「過激でしたよね。みんなマネしちゃうよ! とハラハラしました。僕が出演するライブにはヴィジュアル系からのファンも来てくれて。その中には桜塚やっくんのファンもいて。みんなゴスロリな服装をしていて。で、やっくんの出番が終わったら女の子のファンがバーッといなくなるんです。少しだけ残った女の子は、僕の出番が終わるといなくなっちゃって」
ーー女性人気が高かったんですね。
「いまではもう考えられませんけどね。そういう“ワーキャー”を浴びたくてやっているところもあったし、お笑いとしてもやっていて楽しかったし、キャラ変は大成功でした。ちゃんと自分では“かっこいい”と思ってやっていましたしね」
ロックスターの次は、「地底人スーパーモデル」、次は「ドラマ『タイガー&ドラゴン』(TBS系)とかやってたし、落語ブームが来ていた」ので「落語侍」をやったが、手応えがなく半年でやめたという。
「落語の次に宇宙海賊をやりました。そしたら、テレビのオーディションに引っかかるようになったんです」