負けた方が幕下陥落!寺尾との大一番

 翌01年、十両に番付を下げて、02年5月からは、十両が定位置になった。こうして迎えた9月の秋場所は、十両11枚目で初日から4連敗するなど、苦戦が続いていた。12日目は、同じく負け越している39歳の寺尾(前・錣山親方)戦。負けたほうが幕下に陥落する厳しい一番だ。

 貴闘力は燃え尽きた。そして、翌日、引退を発表。千秋楽まで相撲を取り切った寺尾も、その場所限りで現役を引退した。

 引退した貴闘力は大嶽親方となり、父・大鵬親方が師匠を務める大鵬部屋のサポートに務めた。大鵬親方の定年退職後は、大嶽部屋の師匠となり、幕内・露鵬などの力士を育てた。

 09年のこと。03年に引退後は、貴乃花親方となった「兄弟分」貴乃花から、日本相撲協会の理事になりたいという相談を受けた貴闘力は、10年2月の理事選に向けて票集めに奔走する。その結果、貴乃花親方は理事に就任するのだが、この頃から貴闘力に対する協会幹部の風当たりが厳しくなってくる。

「“相撲協会を変えたい”という貴乃花親方の意見に賛同した親方が一体になって、がんばった結果だったのに、『反主流派』と見られて目を付けられちゃったんだよね。そして、翌年、野球賭博事件が起きて、関与したとされる力士、オレを含めた親方が処分を受けた。自分自身が招いたことなので、仕方がないことだし、クビという処分は“もっと真面目に親方業に励め。他の世界で勉強してこい!”という戒めだったと理解しています」