もう一度会えるとしたら? それはやはり「三島由紀夫さん」

 年齢を重ねると、また会える人もいれば、もう二度と会えない人も増えてゆく。
美輪明宏が、できることならもう一度会いたい人とは?

「それはやっぱり、三島(由紀夫)さんですね」

 2人が出会ったのは、美輪が16歳のとき。

 故郷・長崎の中学を卒業して上京し、シャンソン歌手を目指して国立音楽大学付属高校に入り、銀座の喫茶店でアルバイトをしていたときのことだった。すでに有名な作家になっていた26歳の三島由紀夫は、美輪の才能にほれ込み、自身の作品の舞台に起用した。

 公私ともに信頼し合っていたという彼らの永久の別れとなったのは、三島が45歳だった’70年のことだった。

「もし、もう一度三島さんに会えたら、何と言うかですって? そうですね『しばらく』そして『ごきげんよう』かな。そうしたら三島さんはいつものように『おぅ』って答えますね、きっと」

 美輪さんの「ごきげんよう」をじかに聞けるなんて! と、取材チームは歓喜。

「私は、この『ごきげんよう』で賞をいただいたんですよ」

 美輪は’14年に放送されたNHK朝の連続テレビ小説花子とアン』でナレーションを務め、毎回最後に口にする「ごきげんよう」という上品なあいさつが話題となり、「2014ユーキャン新語・流行語大賞」にランクインした。

 著書の中で美輪は「少しでも世間を明るくする方法」として、「ルンルン」という言葉を挙げている。

——せめて普段の会話の中だけでも気持ちが前向きになったり、ほっと救われたりする言葉はないものか、いろいろと探してみました。そして、見つけたのが「ルンルン」です。(『私の人生論 目に見えるものは見なさんな』より)

 感情的に怒鳴ってしまったとき、怒りや悲しみなどマイナスの感情に支配されそうになったとき、「ルンルン」は理性を取り戻すのを手助けしてくれる魔法の言葉だと、美輪は言う。

 美輪から受け取った「ごきげんよう」と「ルンルン」を携え、目に見えないものを見て、私たちも明日からの日々を上品に生きていきたい。

美輪明宏(みわ・あきひろ)
1935年生まれ、長崎県出身。16歳でプロ歌手としてデビューし、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」で注目を集める。1957年に「メケ・メケ」、1966年に「ヨイトマケの唄」が大ヒット。俳優としては、1967年に寺山修司の「演劇実験室◎天井桟敷」の旗揚げ公演「毛皮のマリー」ほかに、三島由紀夫と組んだ「黒蜥蜴」ほか、数多くの作品に出演。以降、演劇・リサイタル・テレビ・ラジオ・講演活動など、幅広く活動。また、さまざまなメディアで人生相談の回答者をつとめ、絶大な支持を得ている。

●作品情報
著書『私の人生論 目に見えるものは見なさんな』
毎日新聞出版
大切なのは、その人の心や魂を見ることです。
恐れず人と向き合い、心穏やかに生きるための〈美輪流〉55の知恵
定価:1870円(税込み)