1971年に香港に渡り、海外デビューを果たしたアクション俳優の倉田保昭。1974年に日本凱旋した映画『帰って来たドラゴン』がこのたびリバイバル上映される。彼の心の原点となる「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

倉田保昭 撮影/角田忠良

 大学を出て、東映演技研究所に入ったものの、俳優の仕事がなく、六本木の中華レストランでアルバイトの日々を送っていたんです。そんなある日、香港映画のオーディションがあるから受けてみないかと誘われ、一発奮起の思いで受けたらラッキーなことに合格。それで、親から借金して香港へ渡りました。

 当時、香港映画では日本人は悪役しか演らせてもらえなかった。向こうでは日本人のことを“東洋の鬼”と呼んでいたんですよ。年配の撮影スタッフが僕のところへ来て「うちのじいさんが戦争で日本人に殺された」なんて話をしに来たこともありました。「ソーリー」と謝りはしましたが……。自分が出演した映画を映画館に見に行ったら、僕がやられると大きな拍手が起きていました。異様な雰囲気でしたよ。昔、日本でもプロレスで“吸血鬼”フレッド・ブラッシーが力道山にやられると歓声が上がったでしょ。あれと同じ感覚なんですよね。

 とはいえ、2、3本出演したら、もうスター扱い。居心地が良かった。香港では、悪役だけどいつもキャメラの前に立てる喜びとでも言うんでしょうか。そんな気持ちに浸ることができました。映画の中では日本人として殴り殺されたりしたけど、実際は差別もないし、仕事をしていてすごく楽しかった。こんないいところは他にないって思いました。日本に帰ったところで仕事があるわけではないですしね。

 日本を出たことで、日本人について発見したこともありました。私は、「リスペクト」という言葉が好きなんですが、日本人は相手に対するリスペクトの思いが足らないんじゃないかな。