1971年に香港に渡り、海外デビューを果たしたアクション俳優の倉田保昭。1974年に日本凱旋した映画『帰って来たドラゴン』がこのたびリバイバル上映される。彼の心の原点となる「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】

倉田保昭 撮影/角田忠良

 当時、香港では、脚本は俳優に渡されず、その日撮影するシーンが書かれた紙が当日配られるだけでした。とりわけ、この映画ではアクションも、テスト、リハーサルといったものは、ありませんでした。ぶっつけ本番、フリーファイト。アクションの流れは、主演のブルース・リャンなど敵役の俳優と口約束で決めていくのがほとんど。アドリブでした。

 スタントシーンでも、今は高所の場合、ワイヤーをつけたり、モノを壊すときには割れやすい素材の偽物を使ったりしますけど、この頃はそんなもの何もなかった。生身で実際にやるしかありませんでした。

 この映画で、僕が一番の見せ場だと思っているのが、隣接する3階建てほどの建物の壁を開脚して少しずつジャンプしながら登り、向かい合って戦うシーンです。

 ロケ地に行ったら、たまたま狭い路地があって、「こんなアクションは、ブルース・リーもやってないよね」とウー・シーユエン監督と相手のブルース・リャンと相談してやることにしたんですが、実際やってみるとけっこう高い。本番中は下にマットなど敷きませんし、少しでも膝を曲げたり、足をすべらせたりしたら落ちてしまう危険な撮影でした。

 クライマックスの約10分間の対決シーン撮影は1か月半ぐらいかかりました。中でも僕が蹴りを受けて後ろに吹き飛ぶシーンは、10回ぐらいやったんです。そうしたら、撮影後1か月間くらいずっと頭痛と吐き気に襲われたんです。むち打ち症になっていたんですね。そんなことになったのは、この映画だけですよ。