東京・八王子の仲間3人で結成した人気音楽グループ・FUNKY MONKEY BABYS(ファンキーモンキーベイビーズ)のリーダーとして活動した、ファンキー加藤さん。ソロデビュー後も、大型タイアップソングを手がけ、日本武道館でコンサートを開催するなど順風満帆なスタートを切った。今年でソロ活動10周年を迎え、いまも変わらず応援ソングを歌い続ける、ファンキー加藤さんの「THE CHANGE」とは。【第2回/全5回】

ファンキー加藤 撮影/有坂政晴

あまりの忙しさに息切れも、社長に直談判

 ’09年からは、『NHK紅白歌合戦』に連続出場するなど、国民的人気グループに成長したFUNKY MONKEY BABYS。目まぐるしい日々は、友達だったはずのメンバー同士の距離感を遠ざけてしまったようだ。

「’06年にデビューしてから最初の3年くらいは、休みはほぼありませんでした。プロモーションとライブ、楽曲制作の繰り返しで、息つく暇さえなくて。そうすると、メンバーのなかで温度差が生まれました。もともと大らかで根っからのアーティストタイプのモン吉は、“ミュージシャンになりたかったけど、自分が想像していた生活とは全然違う”と言い出したんです。
 ついに、たまりにたまっていた、モン吉の中のマグマが噴き出したと思いました。働くのが好きな僕でさえ、しんどいなって感じるくらいでしたから。相当ハードな日々の中でたまったうっぷんが、ついに仙台でのライブ前に噴出したんです。モン吉は真っすぐな性格だから、“今日のライブは無理だ”って切羽詰まった感じで。
 どうにかしなきゃと思い、ケミカルと3人で仙台の街を歩くことにしたんです。歩きながら、モン吉の思っていることを吐き出してもらって、1時間くらいぶらぶらしたかなぁ。そうやって友達同士の関係性に戻って街をぶらつく自体がすごく久しぶりだったし、いま思うと大事な時間でしたね。
 それで、東京に戻ってから事務所の社長に直談判したんですよ。“毎週とは言いません。1か月にせめて、2~3日の休みをください。そうすれば頑張れます”って。それで少しは3人の空気も良くなったと思います。それ以前は、楽屋でひと言も口をきかないなんてこともありましたから。まあ、ケミカルはどこでもすぐに寝ちゃうんですけど(笑)。ライブ開始5分前に“もう、起きろよ”って起こしたこともありましたね」