1979年、NHK土曜ドラマ『男たちの旅路』シリーズ「車輪の一歩」でデビューし、NHK大河『草燃える』『銭形平次』(フジテレビ系)などに出演。1985年『必殺仕事人V』(テレビ朝日系)の組紐屋の竜役で大ブレイクを果たした京本政樹。ミュージシャンとしても活動するかたわら、幅広く活躍する彼の“THE CHANGE”に迫る。【第1回/全2回】

京本政樹 撮影/貴田茂和

『必殺仕事人』の、「パラパ〜♪」とトランペットで始まるテーマ曲はご存じですか。

 原曲は平尾昌晃先生ですが、実は僕が作曲した『闘う仕事人』という楽曲もあるんです。仕事人シリーズでは、鮎川いずみさんに『女は海』という主題歌を提供したり、僕自身が歌唱している『哀しみ色の…』という挿入歌や、劇中の伴奏音楽なども数多く手がけました。

 実は僕は、最初は役者としてデビューしましたが、もともとはミュージシャンになって、井上陽水さんや小椋佳さん、吉田拓郎さんらのように、自分で作詞作曲した曲を歌うシンガー・ソングライターになりたいと思っていたんです。

 でも、生まれ育った大阪から上京して、作詞作曲の勉強をしていた頃、ある芸能関係者の方から「君、役者になってみないか」と誘われました。それまで僕は一度も演技の勉強などしたことがなかったのですが、何も分からないまま、劇団俳小公演でチェーホフの『三姉妹』に出ることになったんです。19歳でした。

 その翌年に放送されたNHKの『男たちの旅路』でテレビデビューし、その後は大河ドラマの『草燃える』やテレビ朝日の『江戸の牙』に出演。スタッフに「君、かつらが似合うよね」と言われたりしてましたが、僕はミュージシャンを目指していたので、正直なところ、少しも嬉しくなかったんです。

 そんな中、僕は京都の太秦の撮影所に行くことになりました。そこで導かれるように出会ったのが、時代劇『銭形平次』で主役の平次を演じていた大川橋蔵先生でした。

 僕は魚屋善太の役で出ることになっていたのですが、撮影所で「京ちゃん、ちょっといいかな」と手招きしては、粋に見える手ぬぐいのつけ方や化粧の仕方などを逐一アドバイスいただくなど、特別に目をかけてくださいました。