大鶴さんが活躍した90年代は「あまりにも映像が華やか」

――SNSが盛んな今のほうが。

「歌舞伎から2.5次元から、みんな個々に好きなものを選んで盛り上がってますよね。それって、SNSとすごく相性が良かったんじゃないかなと思います。だから僕が映像に軸を置いていた90年代というのは、舞台役者にとっては不遇の時代だったんじゃないかな」

――たしかにテレビドラマに勢いがありました。

「あまりにも映像が華やかで忙しくて、舞台を3か月かけてやるというのはリスクだと感じた。当時はね。でも間違った判断だったなと今は思っています。20代のうちに、舞台での体力もつけておくべきだったのかなと。ただそれも“たられば”だから」

――2000年台以降、特にここ10年ほどは舞台を主戦場にされていますが、2014年、劇団「新宿梁山泊」で唐さんの戯曲に初挑戦しました。秋にも再演が控える『ジャガーの眼』の主演です。唐さんの戯曲に挑戦するようになった理由は。

「オヤジが現役を離れたのが大きいですね。そういうタイミングで、『新宿梁山泊』の金守珍に“義丹とオレで挑戦してみないか”と声をかけてもらったんです。それまではオヤジの世界にバカ息子が入っていくのも、おこがましいというか小恥ずかしいというか、いろんな気持ちがあったんですけど、タイミングかなと感じました。金代表とは一緒にやるようになって10年超すんですけど、彼が声をかけてくれなかったらいかなかったなとすごく感謝してます」