バラードの名曲『大きな玉ねぎの下で』、青春ソングの定番『Runner』や夏と言えば『リゾ・ラバ-Resort Lovers-』など80年~90年代にかけて多くのヒット曲を音楽シーンに送り出した爆風スランプ。そのボーカリストであるサンプラザ中野くんは、早稲田大学出身でスキンヘッドにサングラスという特徴のある見た目で、テレビタレントとしても活躍。今年でデビュー40周年という節目を迎えた爆風スランプ。人気バンドのフロントマンとして活躍した中野くんの人生の転機とは?【第4回/全5回】

サンプラザ中野くん 撮影/松野葉子

「取材現場までタクシーに乗ってきたんですけれど、タクシーの運転手さんに“『旅人よ〜The Longest Journey』は僕の人生の応援歌です”って言われたんですよ」

 そう嬉しそうに話すサンプラザ中野くん。『進め!電波少年』(1992年~1998年・日テレ系)の企画「猿岩石ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」で歌われた、爆風スランプの『旅人よ〜The Longest Journey』が忘れられない人も多いのではないだろうか。

 有吉弘行が当時組んでいたお笑いコンビ・猿岩石が、ヒッチハイクでユーラシア大陸を横断して、ロンドンを目指すというもの。この企画の応援歌が爆風スランプの『旅人よ〜The Longest Journey』だった。サンプラザ中野くんとパッパラー河合がインドで彼らを探し出し、激励する様子に、視聴者は胸を打たれた。

「ヒッチハイクの企画が放送されていたのは’96年で、まだネットも何もなかったですからね。彼らが正確にはどこにいるか分からない状態で探したんです。だいたい首都のニューデリーにいるってことは分かっていたんですよ。猿岩石が公園でパフォーマンスをして旅の費用を稼ごうとしているって聞いていた。
 そこはアメリカでいえばセントラルパークのような、インド内で誰もが集まる公園で、“絶対にその公園にいるに違いない”って、向かったら見つけられた。本当、偶然でしたね。もしかしたら、裏で仕掛けられていたのかもしれなかったけれど(笑)」