時代の寵児となったHIKAKIN(ヒカキン)とともにYouTube(ユーチューブ)界のトップを走り続け、2023年8月、TOB(株式公開買い付け=Take Over Bid)で会社を手放した元UUUM(ウーム)会長の鎌田和樹氏。現在、新たなる事業に向けて「究極の種蒔き期間」を過ごすカリスマ起業家に、直撃インタビューを敢行。HIKAKINとの出会いから知られざるUUUM以前、これまでの人生のチェンジ=転機、気になる著書『名前のない仕事』(ダイヤモンド社)の内容、そしてYouTubeやTikTokの今後まで、とことん語っていただいた!

鎌田和樹氏 撮影/小島愛子

営業職になっていなければ出会っていなかった

――29歳の若さで、HIKAKIN、はじめしゃちょーなど、人気YouTuberのサポート、マネージメントなどを手掛ける「UUUM」の前身となる会社を立ち上げた鎌田さんですが、人生におけるチェンジ、転機はありますか?

鎌田:19歳から光通信という会社で働きはじめて、営業がイヤで総務に異動して、総務が最高の仕事だと思って、このまま一生、事務で生きていこうと思っていたんですね。そしたらソフトバンクがボーダフォンを買収したタイミングで、光通信も「ソフトバンクショップを大量出店していこう」となって、店舗開発に異動になったんです。
 そこで、当時の光通信の社長と一緒に、ショップの出店や物件を探すことに。その縁でソフトバンクの孫社長とお話しすることができるようになったりとか、海外出張に行くようにもなったんですが…。
 出店が終わった後、当時の上司に「お前どうすんだ、営業なのか事務なのか、はっきりしろ」と言われて、「営業、やだしな~」と思いながらも、「事務に戻りたい」と言える流れではなくて。結局、「営業やります、わからないことも多いですが、いろいろ教えてください」となって、直営店舗で1500 人ぐらいの部下を持つようになったんです。
 で、その直営店の決起集会、当時、汐留にあったソフトバンクの25階の吉野家などが入っている社員食堂の奥で、社員たちを集めて研修会をやって。その後、孫社長もほんの少しだけご挨拶をしていただいた決起集会で、ヒューマンビートボックスのパフォーマンスを披露したのが、 HIKAKIN だったんです。
 それが彼との出会いでした。もし営業職になっていなければ、HIKAKINとの出会いがないわけですから、人生の転機ということでいうと、当時の私に「営業なのか事務なのかはっきりしろ」って言ってくれた上司の言葉も、人生の大きな転機だったかもしれません。そもそもソフトバンクがボーダフォンを2兆円みずほ銀行から借金して買ったりしなければ、転機はなかったかもしれません(笑)。

――その後、HIKAKINと再会したのは、いつですか?