専修大学在学中に『ぎんざNOW!』の「素人コメディアン道場」17代目チャンピオンとなり、芸能界入り。32年続いた『ごきげんよう』の司会で知られる小堺一機の「THE CHANGE」とはーー。【第2回/全2回】

小堺一機 撮影/イシワタフミアキ

 司会の声がかかったのは28歳のとき。それがフジテレビの『いただきます』でした。『笑っていいとも!』のプロデューサー横澤彪さんから、『いいとも』の後の時間帯で放送される、おばさんとのトーク番組をやらないかと。僕はそんな大抜擢があるわけないと、制作発表当日までドッキリだと思っていました。

 だから、本当なんだと分かったときは焦りましたよ。何しろタモリさんのあとに、28歳の若造が司会するんですから。責任が重すぎます。

 実際、番組がスタートして3か月くらいは視聴率も散々。新聞にも「小堺が空回りしている。消えていただきます」と酷評されました。横澤さんにも「小堺クン、いつから面白くなるの?」と言われる始末。

 そんなときに思い出したのが、大将の言葉でした。

「小堺にはピンの仕事は来ないよ。だって、一人でしゃべっているんだもん。相手は返事をするしかない」

 それは勝さんが「セリフを一生懸命覚えるより、現場の温度を大事にしろ」と言った教えと同じです。僕はそれまでゲストについて必死に勉強した上で、トークをしていました。でも、そういう頑張りは見ている人にはつらいだけなんですよね。そもそも相手の話を聞いていない。それに気づいてからは事前の勉強はやめ、肩の力を抜いて、相手の話を聞くようにしたんです。そしたら、みんな面白いことをいっぱいしゃべっている。僕はそれをさばくだけでした。

 おばさんたちはとにかく強烈なキャラクターで、下ネタもバンバン。お昼の番組とは思えない過激さが話題になり、視聴率も上がりました。

 スタッフにも恵まれました。当時ディレクターだった三宅(恵介)さんは、「小堺くん、バラエティだと思うとキツいから、ドキュメントだと思えばいいんだよ。沈黙が続くとラジオだと事故になるけど、テレビだと面白い。ハプニングもひとつの見せ場になるんだ」と言ってくれて。