元関脇・青葉城が持っていた通算連続出場記録(1630回)を塗り替え、大相撲に新たな記録を打ち立てた玉鷲。特別なスポーツ経験が無いまま19歳で相撲を始めたという、異色の経歴を持つ。16日に40歳の誕生日を迎えたばかり。そんな玉鷲のTHE CHANGEとは──。【第2回/全5回】

玉鷲 撮影/有坂政晴

 玉鷲一朗こと、バトジャルガル・ムンフオリギル(旧名)が生まれ、育ったのは、モンゴル・ウランバートル市。

 モンゴル出身の元横綱・朝青龍白鵬などの力士がレスリングなど何らかの格闘技の経験はあるのだが、ムンフオリギル少年はどちらかと言うと、インドア派。体は大きかったのだが、スポーツには興味のないタイプだった。

 オギ(愛称)少年が目指していたのは、ホテルマン。高校卒業後は、モンゴル科学技術大学に進んで、勉強に励んでいた。ホテルマンを志望した理由も彼らしい。

「ホテルに勤めると、お客様を含めて世界中のいろんな人たちと会える。世界が広がって楽しいんじゃないかと思ったんです」

 そして、この頃から日本、そして大相撲に関しても、興味が出てきた。実姉が日本に留学して、東大大学院に通っていたこともあって、その間に「一度日本に行ってみたい」と考えたオギは、さっそく行動に移した。

 大相撲に興味があるというものの、現役力士の知り合いなどはいない。そこで、姉と一緒に電車で両国まで行って、たまたま見かけた力士の後を付いていった。

「それがたまたま、当時、鶴竜関(現・音羽山親方)がいた井筒部屋でした。モンゴル語で鶴竜関に『大相撲に興味があって、力士になりたい』と相談したんです。外国出身力士は原則、「1部屋1人のみ」と決まっているので、井筒部屋には入門できなかったのですが、代わりにモンゴル人力士のパイオニア・旭鷲山関(元小結)を紹介してもらいました」