大学で勉強したつもりで最低4年間はがんばろう!
旭鷲山は、当時外国出身力士がいなかった片男波部屋に話を繋いだ。体が大きく、格闘技経験者のヘンなクセなどもないと判断されたオギの入門話は、トントン拍子に進み、片男波部屋への入門が内定した。
オギはいったん、モンゴルに帰国。自分の気持ちと両親の意向を確かめることにしたのだ。
「相撲の世界は知らないし、大学は辞めなければならないけれど、大学で勉強したつもりで最低4年間はがんばろう! と決めたんです。モンゴルの家族や友だちに、『がんばってこいよ!』と見送られて、『ヤバイな…。これはちょっとやそっとじゃ、モンゴルに帰れない』とビビりましたね。でも、明るく『バイバイ!』と言って日本に向かったのは、精一杯のカッコつけでした(笑)」
こうして、2003年秋、日本にやってきたオギだったが、正式入門まで数ヵ月は、部屋で研修を受けなければならなかった。土俵で相撲を取らせてもらえず、日々、基礎運動に明け暮れた。さすがに不安になったオギは、1人で泣いていたこともあったと言う。
そして、04年初場所、ようやく初土俵を踏むことになったオギの四股名は、「玉鷲」。横綱・玉の海など片男波部屋伝統の「玉」の字と、モンゴルを象徴する鳥「鷲」をマッチングさせたものだ。
一期下(同年春場所初土俵)には、嘉風(現・中村親方)、豊真将(現・錣山親方)、里山(現・千賀ノ浦親方)など、大学の相撲部で腕を磨いたツワモノもいた。
一期違いの嘉風らと玉鷲は、相撲教習所で一緒に稽古に励むことになった。教習所にはA、B、Cと3つの稽古土俵があって、Aは学生相撲経験者か同等程度の力のある力士、Bはほどほどに強い力士、Cは相撲未経験者となっていた。これは、力の違いから、ケガなどを防ぐ意味もある。
「相撲経験がまったくない自分は、もちろんCの土俵で稽古しなくちゃいけないんですけど、ルールを無視してAの土俵で稽古していました。負けず嫌いだったんですよ(笑)。相撲の技術はないけれど、腕力では負けないと思っていましたし、力と力をぶつけて相撲を取るのがおもしろかったんですね」
教習所での格上力士との稽古は、玉鷲の闘争本能に火をつけるに十分だったが、出世のほうは、トントン拍子には進まなかった。
(つづく)
玉鷲 一朗(たまわし いちろう)
1984年11月16日生まれ、モンゴル国ウランバートル市出身。片男波部屋所属の現役大相撲力士。2024年の秋場所で大相撲の通算連続出場回数、歴代1位の記録を更新。スポーツ経験が特に無いまま19歳で相撲を始め、30代から力を付けたという、同世代のモンゴル人力士の中でも異色の経歴を持つ。身長189cm、体重178kg。血液型はAB型。最高位は東関脇。趣味は小物、菓子作り、人間観察。