「通訳」デビューは「字幕」よりも早かった!
戸田さんの通訳デビューは『アリスのレストラン』(1970年)のプロデューサーの来日会見で、『地獄の黙示録』(1980年)での字幕翻訳デビューよりも前のことだった。その後、プロモーションのために来日する多くのハリウッドのセレブたちの通訳の仕事を50年以上も続けてきた。誰もがその名を知る俳優や監督との数々のエピソードは、自伝『Keep on Dreaming』(双葉社)で紹介されている。
「あら、もう半世紀以上ですか?(笑)。でも、世界中を探しても70代の通訳なんていないのではないでしょうか? ましてや、私はいま80代。歳をとると反応も鈍くなります。通訳は本当に大変な仕事で、ストレスも半端じゃないですから。
たとえば、小説家は自分で書けるうちは、何歳になっても現役でしょ。字幕翻訳もその類で、自分の頭がはっきりしていれば、続けられます。でも通訳は違います。相手がいて、そこでやり取りをしなくては成り立たないからです。それは、もう、すごいストレス。対人関係とかね。私は、もともとそういうストレスを負うことが嫌い。そして、嫌いなものやらない主義ですから、ずっと辞めようと思っていたのです」
ところが、2020年3月にWHOが新型コロナウイルス感染症をパンデミック(世界的な大流行)とみなせると表明し、世界の映画業界にも多大な影響が出た。当然、スターの来日もなくなった。
「そうですね。2年以上ハリウッドの活動が完全に停止して、来日はもちろん新作の製作もなし。その余韻で、今でも良質の作品が少ないのが残念です。それに“おうち時間”とやらで、みなさん動画配信サービスで映画を見ることに慣れてしまいましたから。一時期、映画館はがらがらになって、長年の映画ファンとしてはとても悲しかったです。
でもそんな中で、やっと『トップ・ガン マーヴェリック』がトム・クルーズの頑張りで劇場公開されて世界的に大ヒットしたおかげで、映画館に大勢の観客が帰ってきた。すごく嬉しいニュースでした。やっぱり、トムはすごい!」
通訳引退を決意したタイミングで、大ヒット作『トップ・ガン マーヴェリック』を携えて、トム・クルーズが約4年ぶりに来日した。
「私にとってトムは特に大事な人ですから。彼は何にでも200%の力で臨む完璧主義者。映画作りはもとよりプロモーションも会見も、すべて。となれば、その記者会見やイベントの通訳も200%を注ぎ込み、当意即妙にスムーズにできなければいけません。
でも80代半ばになった私は、その速さに少々自信が持てなくなりました。もしも言葉に詰まる、訳がズレるなど、何かあったらトムに申し訳ない。“それだけは、絶対に避けたい”と思ったのです。
トムから“行くよ”というメールが届いて来日が決まってから少々悩みましたが。結局、来日当日の1ヶ月ほど前に“通訳を辞退します”と伝えました。彼は冗談交じりに“本当に辞めるの? じつはやるんでしょ?”と言ってましたが。そう、“すごく困る”とも言ってはいただきましたが、私の意志が固いことを知って、最後には了解してくださいました」