「あとでモノマネしてくださいね。from 今日子」

 キョンキョンとは「モノマネのときにもお会いしましたよね」と少しあいさつができました。バスに乗りこんだ後、一緒にいた僕の友達が、大胆にも一番先頭の席にいたキョンキョンに向けて、小さな紙に手紙を書いて、渡したんです。僕たちはバスの後ろのほうにいたので、手紙は前の座席の人が、さらに前の座席の人へと手渡しで渡されていって、キョンキョンのもとへ届けられました。すると、手紙が返ってきたんです。

 どうやら手紙を書いたのは僕だと勘違いをしたらしく、「あとでモノマネしてくださいね。from 今日子」と書かれていました。もちろん、僕はこの手紙を今でも大切に持っています(笑)。

 番組に素人として出演をする中で、僕のテレビへの憧れはどんどん大きくなりました。しかし、高校3年生の夏になると周りの同級生は就職、進学を真剣に考えるようになります。僕も高校卒業が近づくにつれて、現実を受け入れるようになり、夢は夢、かなうことはないだろうと考えるようになりました。ただ、やっぱりテレビの世界は好きだったので、放送の技術の専門学校に進学します。

 ただ、専門学校を卒業しても、やっぱりテレビに出演するほうへの憧れは変わりませんでした。ただ、どう動けばいいのか分からない。そんな苦しい時間が2年ほど続きます。暗黒時代でした。そして何かとりあえず行動をしなければと思い、いくつかのオーディションを受ける中、フジテレビの素人のモノマネ番組に出演できることになります。そしてオンエア後にホリプロと契約をさせていただくことに。事務所のお笑い部門の第1号でした。ここでようやく、本格的に芸能活動がスタートすることになります。

(つづく)

イジリー岡田(いじりーおかだ)
1964年9月23日、埼玉県出身。82年、高校生のときに『欽ちゃんの全日本仮装大賞』(日本テレビ系)に出場。以降、裏方の仕事を経て、87年にお笑いコンビ『キッドカット』としてデビュー。90年にコンビ解消。その後、テレビ東京の『ギルガメッシュないと』で大ブレイク。現在はバラエティ番組からドラマ、舞台などで幅広く活躍中。