ボロボロの状態でタクシーに

――どうなったのですか? 

「市川さんが、テーマに即してるんじゃないかとおっしゃって。どこかで放浪していたちょっと変わり者の主人公が家に帰ってくる話だから、“足を折ったボロボロの状態でタクシーに乗って、寝ながら故郷に帰って来るという設定でもありじゃないかな”と。僕も“そうですね”と思って、折ったまま撮影しました」

『東京夜曲』・・・下町の商店街を舞台に、数年前に出て行ったまま行方のわからなかった主人公が妻のもとに帰ってきたことから動き出す物語。長塚さん演じる主人公の妻を倍賞美津子さん、主人公とかつて恋仲にあった女性を桃井かおりさん、主人公の妻をひそかに思う青年を上川隆也さんが演じた。名匠・市川準監督、原案。市川監督が審査委員を務めた’94PFFでグランプリを受賞し(『寮内厳粛』)、のちに『GANTZ』シリーズや『キングダム』シリーズの監督となる佐藤信介が、市川監督の原案をもとに脚本を書き下ろしている。

――『東京夜曲』は拝見しましたが、そんなことがあったとは、まったく知りませんでした。当時、その事実は。

「関係者しか知らなかったです。物語に沿って、主人公の足もだんだん回復していく。ちょうど合わせたように撮影できました。最初は松葉づえだったのが、最後、商店街のゲート前で、上川隆也さんとすれ違うところでは歩いていました。結果として、ラッキーに終わったわけです」

――大変なハプニングですけど、ご自身では「やっぱり自分はラッキーだ」と。

「そうですね。ラッキーだと思います。こうした巡り巡って、ややこしい経路をたどってのラッキーというのもありますが。昨年の11月に、目黒シネマで市川準監督特集があり、『東京夜曲』も上映されました。僕も呼ばれてパネルディスカッションのようなことをしたんです。そういうのは苦手なんだけど、まあ懐かしいから行ってみようかなと思いまして。ちょっと驚きましたね」

――驚いたとは?

「当時は、いい映画なのかどうかよくわからなかったんです。30年近くぶりに観たら、とてもいい出来でした」

 名作誕生の裏に、そんな巡り巡っての(長塚さんいわく)ラッキーがあったとは。

(つづく)

長塚京三(ながつか・きょうぞう)
1945年7月6日生まれ、東京都出身。パリ・ソルボンヌ大学在学中に、フランス映画『パリの中国人』(74)の主役オーディションに合格して俳優デビューした。日本でのデビューはドラマ『樹氷』(74)。以降、多くのドラマや映画に出演。1995年のサントリー「NEW OLD」のCMや、25年務め上げたJR東海「そうだ京都、行こう。」のナレーションなどでも人気を得た。『瀬戸内ムーンライト・セレナーデ』(97)にて第21回日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。主な出演作に、ドラマ『金曜日の妻たちへ』シリーズ、『ナースのお仕事』シリーズ、大河ドラマ『篤姫』、映画『恋と花火と観覧車』『笑う蛙』『長い長い殺人』『ぼくたちの家族』など。主演を務めた最新作『敵』は、第37回東京国際映画祭にて東京グランプリ/東京都知事賞、最優秀男優賞、最優秀監督賞の三冠を受賞。

●作品情報
『敵』
監督・脚本:吉田大八
原作:筒井康隆『敵』(新潮文庫刊)
出演:長塚京三、瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、松尾諭、松尾貴史ほか
配給:ハピネットファントム・スタジオ
公式サイト https://happinet-phantom.com/teki/