1985年、演劇ユニット『売名行為』を結成し、以降関西小劇場ブームに乗って東京での仕事も増えてきたと語る俳優の升毅さん。自身に“10年転機”があると語る彼の「THE CHANGE」とはーー。【第1回/全2回】

升毅 撮影/宮本賢一

 僕はもともと、アイドルになりたかったんです。キャーキャー言われたかったし、モテたかった(笑)。

 とは言っても、中学生から大阪にいたから、東京でやるようなオーディションの情報はなかったし、歌もダンスも習ったことがない。ただ、父が放送局に勤めていたので、自宅に芸能関係の人が泊まりにきていたり、ドラマ撮影の現場を見に行く機会があったりと、芸能の世界はわりと近くにありました。

 僕は、西城秀樹さんや野口五郎さんと同級生なんですが、中学生の頃に野口さんがデビューしたんです。アイドル誌に掲載された、堀越学園の制服に身を包む野口さんの写真を見た父から「おまえさんに似てるな」と言われて(笑)。全然似ていなかったんですが、制服や背格好が似ていたんでしょうね。以降、彼のことを強く意識するようになりました。

 それからも、父から放送局に『青いリンゴ』のキャンペーンで来た彼の話を聞いたり、他の同世代の子が続々とデビューする姿を見たりして、彼らに対して尊敬の念を抱くようになりました。そして、だんだんと「自分もその世界に行きたい」と、強く思うようになったんです。

 でも、当時の僕は恥ずかしさから、周りの人に「アイドルになりたい」とは言えなかった。高校生の進路指導のときも、アイドルではなく、「俳優になりたい」と言っていましたね。そんな僕の思いを知った父からは、「現役で大学に合格し、4年で卒業するなら」と、条件付きでOKをもらいました。

 僕が飽き性だったので、将来、潰しが効くようにと、父は考えたんでしょうね。僕としては、受験を避けようと思っていたから大失敗(笑)。慌てて猛勉強して、4年で卒業するために頑張りました。

 NHK大阪放送劇団付属研究所という養成所に入所したのも、大学生のときです。その後、20歳で「劇団五期会」に入りました。