残ったのは2億円近い借金だけ

 勉強会で私がみんなに伝えていたのは、地方議員は2期以降はやるな、3期もやったら小さな利権ばかり追いかけてばかになる。だから、その前に首長選挙とか国政選挙に出ようと言っていたんです。ただ、言い出しっぺである私はそれに失敗。大阪の市会議員を2期務めたあと、小沢一郎さんについていって、96年に民主党から衆院選に出たのですが落選。諦めがつかずその2年後、三重県の市長選挙にも出たのですが、あえなく敗戦で、残ったのは2億円近い借金だけでした。

 私にとっての政治はこれでピリオドだなと思い、三重県の山奥で暮らしていたんですが、1年くらいたつとうずうずしてきて、アジアを放浪したりもしました。実はインドネシアでゲリラがたくさんいるアチェ州の職員と友達になり、地中から砂金が取れると聞いて、採掘する会社を興して仕事をしていたこともあるんですよ。億万長者になれるかとも思ったんですが、国内事情が悪化する中で戒厳令が引かれて、日本へ帰ってくることになりました。

 東京に戻ってきたときに小沢一郎さんに会うと「お前は、何をやっているんだ」と声をかけられて、選挙のお手伝いとして政治の世界に復帰することになりました。当時の私は、人生はつまらない日常の連続というアンニュイな気持ちを持っていたのですが、それに対して選挙というのは非日常だからドーパミンが出まくるわけです。そこからどんどん選挙にハマっていったんです。選挙参謀としての人生が始まったのはこの頃です。

(つづく)

藤川晋之助(ふじかわ・しんのすけ)
1953年、大阪府生まれ。23歳から代議士秘書、大阪市会議員、政策担当秘書、政治アナリスト、選挙プランナー、政党事務局長などを歴任。政官、マスコミにも幅広い人脈を持ち、高い勝率を誇ることから永田町内では“選挙の神様”とも呼ばれる。タレントのデヴィ夫人を代表とし、2月12日に立ち上げが明らかになった政治団体『12(ワンニャン)平和党』の選挙対策委員長に就任した。