1990年にテレビアニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ『おどるポンポコリン』で日本中を大人から子供まで巻き込み、その後はガールズユニット『Mi-Ke』のリードボーカル、そして現在に至るまで第一線で活躍を続けているミュージシャン・宇徳敬子さん。最近でテレビのバラエティ番組でも個性的過ぎる足跡を残しトレンド入りという偉業(快挙?)を成し遂げ、活動の場を広げている。そんな宇徳さんにとってのCHANGEとは?【第3回/全4回】

宇徳敬子 撮影/有坂政晴

 宇徳さんはB.B.クィーンズとして「おどるポンポコリン」にて第41回NHK紅白歌合戦に初出場。その後、1991年にB.B.クィーンズのコーラスユニットで結成した”Mi-Ke”ではメインボーカルとして「想い出の九十九里浜」、翌年は「涙のバケーション」で3年連続紅白出場を果たす。B.B.クィーンズ、そしてMi-Keを経て、93年にソロとして活動を始めるようになった。

「『おどるポンポコリン』が大ヒットして社会現象にもなり、“Mi-Ke”も2年間という短い活動時間のなかで、ここでそろそろソロ活動をと、音楽プロデューサー長戸大幸さんに言われ……あ、ギャグじゃないですよ(笑)」

 ソロ活動を本格的にやるにあたり、事務所からの提案があった。

「『B.B.クィーンズ』や『Mi-Ke』の宇徳敬子じゃないということで、それまでのビジュアルを全部枯らして、メディアには一切出ないということで全部リセットされたんです。全部をゼロにする。フラットにして“新人・宇徳敬子、って誰?”という感じのスタートでした。自分の素で生きているという点で、私の中では何となくそれまでの感じとは全く違う、ゆっくりとした時を刻みながら歩んでいくのも、また良いなって思ったんです。この話をすると、皆さん、“そんなやり方で大丈夫だったの? 納得できたの?”って訊かれるんですけど、私としては人肌のぬくもりが感じられる様な音楽を作りたい時でもあって、それまでのテレビやレコーディングの日々から解放されて、曲作りの時間をもらえたという点では嬉しかったんです。ゆっくりと自分と向き合う時間を過ごさせてもらったって感じでしたね」