中上健次にはなくて北方謙三にあるもの

 そんなとき、「20代後半の、最後の最後で見つけた」という。中上にはなくて俺にあるものを。

「文学をやめようと思いました。それで、物語を書いたんです。エンターテイメントを。あるとき集英社の編集者が来たんです。彼は俺の純文学の作品が何本か溜まったから“1冊、出しますよ”と言いにきたんですが、業務命令で来たから熱意がないんです。それで、熱意を持って作ってほしいから酒を飲みながらいろんな話をしていたら、ヘミングウェイの話になりました。お互いに細かい描写まで覚えているくらい読み込んでいることを知り、盛り上がり、そこからエンターテイメントに話になりました」

 すると熱が宿った編集者は言った。「こんなもん出すの、やめましょう。エンターテイメントを書きましょう」と。かくして北方さんはペンを執ると、いっきに1500枚も書き上げたという。

「省略の仕方なんて全然わかっていませんでしたからね。それで、削って読み返して、また書き直して……を繰り返して、500枚になりました。そうしたら結構いいものができた。『逃がれの街』という作品で、話題になって映画化もしたんです。そしたら中上は純文学をやめて売文業に走った俺のことを”裏切った”と言ったわけです。“どちらさまでしたっけ? ああ、文章をお売りになっている方ですね”なんて憎たらしい言い方をしてくることもあった。憎らしい言い方だけど、中上は中上で認めたんです」

 ここに、北方さんのTHE CHANGEがあるという。

「立松和平が言ったんです。“体に合わないシャツを着てタコ踊りをしていたけど、いまは体にピタッと合うシャツを着ているね。かっこいいな”と。それを聞いて涙が出たね。俺にとっての転機は、純文学からエンターテイメントを始めたときの友達の言葉です。それが人生で一番大きな転機です」

 とはいえ、北方さんの作品にはいまも「文学の尻尾が残っている」と話す。

「それを全部なくしてしまうと、非常に通俗的な小説になってしまう。だから俺の小説は、いいところが融合しているんじゃないかと思っています」

 そう自負する北方さんの言葉の端々から、青春時代の代えがたい友情の片鱗が垣間見えたのだった。

北方謙三(きたかた・けんぞう)
1947年10月26日生まれ、佐賀県出身。1970年、「明るい街へ」で作家デビュー。1983年に『眠りなき夜』で日本冒険小説協会大賞、吉川英治文学新人賞受賞し、以降さまざまな文学賞を受賞。2013年には紫綬褒章を受章した。代表作はハードボイルド小説『檻』『逃れの街』や、『武王の門』を始めとする歴史小説、中国史の長編作品『水滸伝』『三国志』。『試みの地平線』(1988年)はいまなお語り継がれる人生相談界の雄。

【作品情報】
北方謙三、伝説の剣戟小説、日向景一郎シリーズ5カ月連続刊行

風樹の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 1 定価:968円 (本体880円) 発売中
降魔の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 2 定価:880円 (本体800円) 発売中
絶影の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 3 定価:968円 (本体880円) 発売中
鬼哭の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 4 予価:990円 (本体900円) 4/9発売
寂滅の剣<新装版> 日向景一郎シリーズ 5 完 予価:1,034円 (本体940円) 5/14発売