大学卒業後に放送作家事務所へ入り、その後コント師を経て浪曲師になった玉川太福。近年では落語の定席にも出演し、2025年1月下席の末廣亭での初主任興行は、10日間大入満員という歴史的な興行となった彼のTHE CHANGEとはーー。【第2回/全2回】

玉川太福 撮影/川しまゆうこ

 浪曲師として転機となったのは、弟子入りして3〜4年後、自分の実体験をベースにした新作浪曲を始めたことがきっかけでした。当時、風呂なし6畳1間のトイレ共同アパートに住んでいまして、そこの大家さんから、自転車1台とサドルを1つもらったという些細な話を、やたら大袈裟に『自転車水滸伝』と題して、創作しました。これが、小さな範囲ではありましたが、お客さんや仲間内から、面白がってもらえたんです。姉弟子は、「変な浪曲をやり始めたが、大丈夫か?」とひそかに心配していたみたいですが (笑) 。

 その後、2015年に『地べたの二人』というさらに些末な日常浪曲で、「渋谷らくご創作大賞」を受賞しました。そこで一気に、「浪曲で変な奴が出てきたぞ!」と話が広まり、演芸の世界で認知していただけることになりました。6年ほど前には落語芸術協会に入り、寄席にも出させていただいております。

 ちょうど今年の1月、新宿末廣亭の下席(21〜30日)の夜の部で、初めて主任(トリ)を務めました。大変光栄なことでございます。おそらくですが、落語の定席で浪曲師がトリをとるのは、65年ぶりのことだそうです。

 10日間大入りが続いたことだけでなく、浪曲の後輩たちが楽屋に顔を出してくれたことも嬉しかったですね。慣習にないことなので、かなりハードルが高かったと思います。そんな中でも、恐る恐る足を運んでくれました。後輩たちもお祭り感のある末廣亭の様子に、とても刺激を受けたと思います。

 私が入門した頃に比べれば、浪曲界は危機感もありますが、明るい兆しも増えています。後輩が増えましたし、落語や講談の同年代の方々と他流試合をできる場も増えています。稀にですが、お笑い芸人さんとの共演も。これは私の入門時にはなかった流れです。さまざまな場に浪曲師も進出して、まだ浪曲に出合ったことがない人に広めていく。地道な仕事ですが、私もこの流れを大切にしていきたいですね。