中学の卒業と同時にSPEEDも卒業

 1999年10月5日には突如の解散発表の記者会見が開かれ、翌日のスポーツ紙のトップを独占した。そして、2000年3月31日で解散。

「当時は15歳で、中学の卒業と同時にSPEEDも卒業でした」

 卒業とか解散というと、もっと年齢的にも上の人がやるもの、というイメージがある。

「ね。だから、私もビックリするんですよ。約3年半ぐらい活動で、学校で卒業式を迎える様にSPEEDも卒業式を迎えたんですが、やっぱり私の人生の中でも大きなことでした」

 SPEEDとして活動期間中はシングル11枚、アルバム6枚、ミュージック・ビデオ4本をリリース。これらのトータルでのセールスは約3000万枚、売上金額でいうと386億円とも言われている。パフォーマーとしての功績の部分でも、日本レコード大賞での新人賞、優秀作品賞、日本ゴールドディスク大賞など多くの賞を受賞した。あまりにも多忙な日々が続いた。

「いま思えばですけど、一回立ち止まって自分を見つめ直すというか、向き合いたかったんだと思います。おそらくですが、自分を見失いそうな感覚だったんだと思うんです。SPEEDとしての活動はもちろん、私一人の意見ではどうにもならないことも判っているし、ものすごい責任も感じていたんだと思うんです。そんな日々が3年半とか続いていると、やっぱり、当時の私たちじゃなくても、人って誰もがちょっと立ち止まってみたくもなると思うんです。それで流れとして話し合っていった中での解散であり卒業だったと思います。自分たちの状態や自分たちを取り囲む状態を合わせて考えて判断する……というのは大人でも難しいと思うんですが、それを15歳で経験しました、メンバーと一緒に。そういった意味ではまさにスピードで生きてきた感がありますよね」

──島袋さんにとっての10代前半はSPEED一色だった?

「そうでしたね。だからSPEEDを卒業して、16歳からは一人になるんですけど、それは過去の実績みたいなものに頼らないようにっていう意識がやっぱりあったたとも思うんです。色んな音楽を含め、自分がその時に興味があるモノ、ビジュアルをとにかく伝えて、それを作品にしたり。今までの自分と違う自分を……といった“自分探し”が始まった感じでしたね」

(つづく)

島袋寛子(しまぶくろ・ひろこ)
1984年4月7日生まれ。沖縄県出身。3歳から沖縄アクターズスクールに通う。SPEEDとして12歳でデビュー。正式なソロデビューは1999年発売の『AS TIMES GOES BY』。ジャズのプロジェクト『Coco d’Or』にて3枚のアルバムを発表。 2008年にSPEED の活動を再開後もソロ活動を並行し、2013年にアルバム『私のオキナワ』をリリース。ミュージカル、ドラマなどで演技にも積極的に取り組む。アロマセラピー・ボディトリートメント・カラーケアシステムの資格を持つなど、タレント以外でも多岐に渡り活動。地元沖縄の FM OKINAWAで 「島袋寛子の いいね!OKINAWA!」のパーソナリティもつとめている。4月29日(火・祝)に沖縄・那覇文化芸術劇場で開催予定の「戦後80年 平和祈念コンサート」への出演が決定している。

【作品情報】
火曜ドラマ『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』は毎週火曜日、夜10:00~、TBS系にて放映中。
公式サイト: https://www.tbs.co.jp/taigannokaji_tbs/
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