ある日父親から人生の選択肢を迫られた9歳の小林幸子
当時9歳の幸子は、バナナを食べたい! というのと同じように、こう答えた。
──うん、なりたい。
「でも、まわりには東京に行ったことがある人すらいなかった時代ですし、たった9年しか生きていない子どもには、歌手になるということがどういうことなのか、よくわかってはいなかったですよね。
でも、歌が好きだという思いだけはしっかりとあったので、そう答えました。いま思えば、あの瞬間がわたしにとって最大のTHE CHANGEですよね。もし“なりたくない”と答えていたら、まったく違う人生だったわけですから」
1964年、東京オリンピックの年に上京して、『歌まね読本』で審査員長を務めていた古賀政男氏の作曲による『ウソツキ鴎』でデビュー。天才ちびっこ歌手のデビュー曲は20万枚のヒットとなったが……。
「そんなに甘くないんですよ、芸能界は。2枚目以降は、まったく売れない。人生初の挫折です」