1985年にフジテレビに入局し、1990年、結婚を機にフリーに。1995年に渡米しニューヨーク大学大学院に入学し改めてジャーナリズムを勉強した長野智子。現在はジャーナリストでありフリーアナウンサーである彼女のTHE CHANGEとはーー。【第1回/全2回】

長野智子 撮影/イシワタフミアキ

 フジテレビに入局したのは1985年。三宅正治さん、軽部真一さんも同期です。

 翌年の春からは今の『めざましテレビ』の前身となる朝の帯番組で、「踊る天気予報」というコーナーの担当になったんです。クロマキーの日本地図を背負って、「パラパラポ〜ン」なんて踊りながら天気予報をやってたんですよ。

 それを『オレたちひょうきん族』のプロデューサーの横澤彪さんが面白がって、「使いたい」と強くおっしゃってくださったそうなんです。これはものすごい光栄なことなので、秋から先輩の山村美智さん、寺田理恵子さんの後を継ぐかたちで、3代目「ひょうきんアナ」になりました。

 バラエティはまったく知らない世界だったので、飛び込んだばかりのときは、周りの期待にどれだけ応えられるか不安だったんですが、気づけば私の意思とは反対に、名前がどんどん知られるようになって……。

 ドラマに出演したり、ゴールデンの司会、あとちょうど始まったばかりの『27時間テレビ』にも出てたので、すごく忙しくて、もう家に帰れず、スタジオで寝たりしてました。まだコンプライアンスなんて世の中に存在しない時代でしたからね (笑) 。

 夫と出会ったのは、入局5年目に初めて長期休暇を取って、母と2人でアメリカに旅行したときです。実は私、父が商社マンだった都合で、米国で生まれたんです。物心つく前に日本に帰って来ちゃいましたけど。その父は私が7歳の頃にがんで亡くなったんですが、ちょうど母が還暦だったので、お祝いも兼ねて、私が生まれた家を探しに行こう、ということになったんですよ。

 そのときに、現地で案内してくれた友達のグループにいたのが、今の夫。母のほうが先に気に入って、「パパが連れてきてくれたのよ」なんて。