1985年にフジテレビに入局し、1990年、結婚を機にフリーに。1995年に渡米しニューヨーク大学大学院に入学し改めてジャーナリズムを勉強した長野智子。現在はジャーナリストでありフリーアナウンサーである彼女のTHE CHANGEとはーー。【第2回/全2回】

ニューヨークの大学院でジャーナリズムをちゃんと勉強することにしたんです。向こうで予備校に通い、ニューヨーク大学院の入試を受けて合格して「メディア環境学」を専攻しました。
ちょうどフジでは、有賀さつきちゃん、八木亜希子ちゃん、河野景子ちゃんら若くてかわいい新人アナウンサーが「三人娘」と話題になっていた頃。自分で望んで入学したのに、「私のことなんて、日本じゃ誰も覚えていないだろうな」って落ち込んでいました。バレーボール部員だった夫は、「高く飛ぶためには膝を深く曲げる必要があるんだよ」って言ってくれたけど、私は「このまま曲げ続けたら、膝が伸びないよ」なんてブーブー言いながら勉強してましたね (笑) 。
99年に卒業した後は、ニューヨークから中継する仕事などをしていたんですが、翌年、テレビ朝日の『ザ・スクープ』から、「女性キャスターを探しているんだけど、長野さんは日本に帰る気持ちがありますか」って連絡をいただいたんです。『ザ・スクープ』は、鳥越俊太郎さんと一緒にキャスターを務めていらした田丸美寿々さんに憧れていたのもあって、私が一番出たいと思っていた番組でした。もう、信じられなくて。夫を置いて単身で帰国しました (笑) 。
あの「同時多発テロ」が起こったのは、2001年でした。そのとき、日本のテレビはアメリカ発信のニュース素材を使っていたので、報道がアメリカの主張一辺倒だったんですよ。鳥越さんは毎日新聞の中東支局長だったこともあって、「本当にアメリカだけが正義なのか? 僕たちは中東から中継しよう」と言って、私がパレスチナに飛ぶことに。
飛行機の中で資料にも目を通しましたが、現地につくと、百聞は一見に如かずで、さまざまな理不尽さや不平等を目の当たりにしました。