ラストチャンスやから絶対行った方がいい

 30歳で看護専門学校に入学。途中、第1子を出産したため、1年遅れて34歳で卒業した。

「この間、小説は全く書けませんでした。書くつもりでいたんですけど、思っていた以上に忙しくて。卒業して少し時間ができ、“あ、私は看護師になるために生きてきたのではなかった。小説家っていう夢があったんだ”と思い出して、また書き始めました」

 2008年、小説宝石新人賞に応募した作品が、最終選考に残ったものの落選。夫の再度の転勤で京都に戻っていた藤岡さんに、ほどなくして葉書が届いた。光文社の編集者だった大久保雄策さんからだった。青い万年筆で、「残念ながら最終選考は落ちましたが、私はあなたの小説がとても好きです。京都まで行くので、お会いできませんか」という内容が書かれていたという。

「でも、私はその時、2人目の子の出産直後で体調が悪かったので、断ろうかなと思ったんです。落選慣れして、もう自分はプロの作家にはなれないんじゃないかと弱気になっていた時期でもありました。そしたら、夫が“これはラストチャンスやから絶対行った方がいい。これに行かなかったら、小説家にはなれへんよ”って。それで頑張って京都駅のカフェでお会いしたら、大久保さんが言ってくださったんです。“長編を書いてみませんか”と」

 そこで書いたのが看護学校を舞台にした『いつまでも白い羽根』。これがデビュー作となった。

「だから、私のこれまでの人生の中で『THE CHANGE』をもう1つ挙げるとしたら、大久保さんからの葉書が来た時ですね。閉ざされていた世界がぱっと開けて、自分の夢に繋がっていった瞬間でした」

(つづく)

藤岡陽子(ふじおかようこ)
1971年京都府生まれ。同志社大学文学部卒業。株式会社報知新聞社を経て、タンザニア・ダルエスサラーム大学留学。慈恵看護専門学校卒業。2009年『いつまでも白い羽根』(光文社)でデビュー。『リラの花咲くけものみち』(同)で第45回吉川英治文学新人賞受賞。『海路』『トライアウト』『晴れたらいいね』(同)『金の角持つ子どもたち』(集英社)『森にあかりが灯るとき』(PHP研究所)など著書多数。