幼少期から芽生えた表現者としての素質
そんな祖母の姿を見て育った大地さんは、幼少期から、トップの表現者になる未来を感じさせる行動をしていた。
「4~5歳くらいのときでしょうか。泣いたときに、自分は“こんな顔になるんだ、こういうふうになるんだ”と、鏡の前に行って確認していたんです。いま自分はどんな顔をして泣いているのかと」
――早くから俳優になりたかったと聞いていますが、研究熱心だったんですかね。それともただ好奇心旺盛だったのか。
「両方でしょうかね。自然とそうなりました。タイツを頭にかぶって、ロングヘアに見立てたり、タオルケットを腰に巻いてトレーンにしたり。そうしたことはやってました」
本格的に、舞台に立ちたいという思いが強くなっていったのは中学生のとき。
「ピアノをやっても続かない、そろばんをやっても、日舞をやってもお習字も。英会話も続かない。何をやっても続かない私でしたが、“演じる”ということへの興味だけはなくならなかったんです。宝塚は音楽学校を入れると14年以上続きましたから」
――やはり“好き”がそうさせたのでしょうか。
「演じることへの興味はありましたが、宝塚を好きになったのは、その世界に入ってからです。宝塚音楽学校は厳しい場所ということで、そこなら父が入ってもいいと。それまで宝塚の舞台を観たこともありませんでした。