江戸時代、文化元年(1804年)に創業し、現在に至るまで酢のトップメーカーとしてあり続けてきたミツカン。酢以外にも「味ぽん」や「カンタン酢」、納豆の「金のつぶ」シリーズなどの大ヒット商品を開発し、近年では体験型博物館の「MIZKAN MUSEUM(ミム)」を運営している。2021年、そのミツカンの社長((株)Mizkan Holdingsの社長)に中埜裕子さんが就任した。今回はミツカン初の女性経営者として注目される中埜裕子さんと会社、それぞれの転機について、これまでとこれからについて聞いてみた。【第1回/全3回】

小学生でミツカンについての授業を
取材前、ふだんは髪をおろしているが、撮影のためにアップにしてきたと、うれしそうに話してくれた中埜裕子さん。創業家に生まれ、大学卒業後にミツカンに入社。45歳にして経営者となったが、生まれながらのエリートという感じはなく、かなりフランクな、かつ陽のオーラに満ちた人だった。
創業家に生まれ、自分が将来、ミツカンを背負っていくんだという意識は、いつぐらいからありましたか?
「背負うかどうかは別として、うちの会社がなにをやっているのかというのは、常に意識していました。もともと家のつくりが小さな商家みたいになっていたので、普通の家と違って従業員の方と触れ合う機会が多かったんです。それもあって、友達の家に行くと、“なんか違うな”というのはありました。
いたずらとか悪いことをすると、親じゃない人から叱られるということがふだんからあって、常に大人の目があるという感じでした。いろいろな人たちに支えられて今の自分たちがあるということが、日々の中で感じられていたのは、よかったなと思います」
幼い頃からその意識があるというのは、かなり早熟ですね。学校では違いを意識しましたか?
「小学校の社会科見学で、当時は『酢の里』(現在のMIZKAN MUSEUMの前身)という、ミツカンが運営している施設に行くことになったんです。そのときに先生からミツカンの歴史について授業をやりなさいと言われて、みんなの前で話したんです。当時は“なんで私だけが?”と、少し思いましたけど、自分がミツカンの創業家の子供だったということは、家族以外のところでも感じていました」