苦手になる前に慣れていた
小さい子には酢が苦手な子も多いと思います。中埜さんは酸っぱい料理は苦手ではなかったんですか?
「苦手になる前に慣れていました。3歳ぐらいまで祖父(七代目の中埜政一さん)と同居していて一緒に食事もしていたので、酢のものとか、日々、食べていましたし」

自然とミツカンの人間になっていったという感じがします。
「3歳以降も祖父とは同じ敷地内に住んで毎日、会っていて、こういうふうにうちは成り立っているんだとか、いろいろな話を聞いてました」
印象的だった話はありますか?
「祖父は仕事がうまくいかなくてイライラしていることも多くて、そういうときに企業理念のひとつ、脚下照顧(※)、自分のエゴではなくお客様の身になって考える、ということを仏壇の前で言っているのをよく見ました。
四代目のことを事業を多角化した人としてすごく褒めていて、常に変革と挑戦をしなきゃいけないと言っていたんです。それを聞いた後に先祖で誰が一番、偉いと思うか質問されたので、四代目と答えたんですけど、なぜかすごく怒り出したんです。事業の基盤を整えることが大事で、なんでも手を広げればいいというものではない、三代目が偉いんだ、と言い出して……。変革をしながら同時にお客様のことを考えることは二律背反するところがあって、祖父もそこで悩んでいたんだなと、今は思います」
※脚下照顧=禅宗の言葉で、自分の足元をよく見て、反省し、謙虚に生きるべきという教え
その頃、小学何年生だったんですか?
「1年生ぐらいでした。なぜ四代目がいいと思ったのか、反省文も書かされました」
ものすごい英才教育ですね。
「英才教育というか、子ども扱いはしてくれませんでした」