オーストラリアでの3年間は「人生でいちばんつらかった」

「日本で録画したVHSをオーストラリアで観ようと思っても、ビデオの形式が違って再生できないんですよ。多分、あの日本食店の人は形式を変換する機械を持ってたんでしょうね。もちろん無許可の貸し出しだったけど、当時オーストラリアに住んでいた日本人は結構レンタルしてたんじゃないかな。すごく画質の悪い映像を、本当に貪るように観てました」

 そしてあるとき、『元気が出るテレビ』の企画「お笑い甲子園」をきっかけに高校生コンビ・グレートチキンパワーズが人気者になったというニュースを知る。

「『お笑い甲子園』では、自分と同世代の人たちがショートコントや漫才をやっていました。そこで初めて“あ、お笑いって勝手にできるんだ”って気付いたんですよね。考えてみたら当たり前のことなんですけど、素人でもネタをやっていいなんて思いもしなかった。そのとき、一気に世界が開けた感じがしました」

 背景には、異国の地で溜め込んでいたフラストレーションもあった。高校卒業後は日本の大学を受験する予定だったため、勉強の手は抜けない。息抜きに触れられるコンテンツには限りがある。そして何よりも、言葉の壁が高くそびえたっていた。

「英語では、自分の思っていることをを伝えようにも小数点以下は伝えられない歯がゆさがありました。まさに今言った『小数点以下』なんて表現もできない(笑)。“日本語でもっと面白おかしく話したい!”って気持ちはものすごく強かったですね」

「人生、好きなことをやらないと自分という人間はダメになる」と直感した17歳の岩崎少年は、「芸人になる」と道を定めた。

 今振り返っても「人生でいちばんつらかった時期」というオーストラリアでの3年間の高校生活は、しかし彼にひとつの大きな影響を与えている。

「お笑いの表現は、細かな言い方や語尾ひとつに差が出るものじゃないですか。僕の中では“言葉は道具だ”という感覚がすごく強くて、どうすればニュアンスがより伝わるか、どこまで言葉を自由に使えるか、追求するのが好きなんです。やっぱり言葉って本当に大事だし、面白い。そう思うのは、海外で英語に苦しんだからこそでしょうね」

(つづく)

岩崎う大(いわさき・うだい)
​1978年9月18日生まれ。東京都出身。幼少期を湘南で過ごしたあと、西東京市で暮らす。中学3年生から高校までオーストラリアへ移住。高校卒業後、帰国子女として早稲田大学政治経済学部政治学科入学。大学でお笑いサークル「WAGE」に参加、在学中の2001年にプロデビュー。2005年までWAGEとして活動したあと、2006年に槙尾ユウスケと「劇団イワサキマキヲ」を結成。2010年にコンビ名を「かもめんたる」に改名。その後『キングオブコント2013』で優勝。2015年には「劇団かもめんたる」を旗揚げ。2020年と2021年に2年連続で岸田國士戯曲賞に最終ノミネート。現在も芸人、劇作家、脚本家、演出家、漫画家など、多岐にわたり活動中。

■インフォメーション
『かもめんたる岩崎う大のお笑いクロニクル 難しすぎる世界が僕を鬼才と呼ぶ』
著:岩崎う大/発行:扶桑社
https://amzn.asia/d/dle5lKR