槇尾には芸人らしからぬ発想がある
いわば“ネタ書き料”だ。お笑いコンビにおいて、片方が100%ネタを書いている場合、書いていないほうは先輩付き合いやスケジュール管理などの細々とした対外的な部分を請け負ってバランスを取ろうとするパターンが多い。明確に金銭でサポートするのは珍しいケースだ。槇尾は毎月バイト代の25%を岩崎に渡すようになる。
「そういう芸人らしからぬ発想が彼にはあるんですよね。あれは本当にありがたかった。同時に、“出資”を切り上げられる日が来たら相当嫌だなと思って、プレッシャーにもなりました。“う大さん、お金払ってきましたけどさすがにそろそろ……”って言われたらキツいじゃないですか(笑)。だからその分、それまで以上に毎日のネタ作りをしっかりやるようになった。おかげでかもめんたるが世に出るまでの時計の針を、だいぶ早回しで進めることができた気がします」
相方の援助の甲斐もあり、2013年には『キングオブコント』で優勝を果たす。“売れる”ための大きな足がかりを得たはずだったが、そうは簡単にいかなかった。いわく、「優勝から半年ぐらいで、テレビに呼ばれる回数はかなり減っちゃいましたね」。ネタを磨き上げることと、バラエティでうまく振る舞うことはまったく別のスキルだ。かもめんたるは、そこでつまずいた。
苦しい状況が続くと、2人の仲は悪くなっていくのがコンビのセオリーだ。周囲のアドバイスを受けて2015年には劇団かもめんたるを旗揚げしたり『キングオブコント』に再び挑戦したりと活路を模索するが、溝は深まる一方。そして2017年、岩崎は槇尾に「コンビは続けるけど、しばらくはそれぞれ個人の活動を頑張ろう」と宣言するに至る。「そこでもし槇尾が“解散したい”と言ったら、もうしょうがないなって。それぐらいの割り切りはありました」と言う。
「だけど、自分から解散を選ぶのはお笑いに対する冒涜のような気がしたんです。僕はかもめんたるのネタを面白いと思っていた。こんなに面白いものを作ってきたのに、僕らが解散したらこのネタは世の中からなくなってしまう。自分の手でそれを選ぶのは、よくないことだ、って。逆にいえば、お笑いの神様が“そうしてもいいよ”と言うんだったら、きっと槇尾が“解散しましょう”って言うだろうとも思いました。なんというか、“俺が決めることじゃないんだ”って感覚があった気がします」
結局、ギリギリのところで解散は回避された。その後2人は『M−1グランプリ』をはじめ漫才に挑戦するなど、コンビでの活動を再び盛んに行うようになった。『難しすぎる世界が僕を鬼才と呼ぶ』のあとがきでは、「お互いのダメなところを諦め、いいところを感謝し合える関係性になっている気がします」と書かれている。やはりお笑いの神様はあのとき、“その道を選ぶべきではない”と彼らに啓示したのだ。
(つづく)
岩崎う大(いわさき・うだい)
1978年9月18日生まれ。東京都出身。幼少期を湘南で過ごしたあと、西東京市で暮らす。中学3年生から高校までオーストラリアへ移住。高校卒業後、帰国子女として早稲田大学政治経済学部政治学科入学。大学でお笑いサークル「WAGE」に参加、在学中の2001年にプロデビュー。2005年までWAGEとして活動したあと、2006年に槙尾ユウスケと「劇団イワサキマキヲ」を結成。2010年にコンビ名を「かもめんたる」に改名。その後『キングオブコント2013』で優勝。2015年には「劇団かもめんたる」を旗揚げ。2020年と2021年に2年連続で岸田國士戯曲賞に最終ノミネート。現在も芸人、劇作家、脚本家、演出家、漫画家など、多岐にわたり活動中。
■インフォメーション
『かもめんたる岩崎う大のお笑いクロニクル 難しすぎる世界が僕を鬼才と呼ぶ』
著:岩崎う大/発行:扶桑社
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