2013年に『キングオブコント』王者となり、2015年に旗揚げした劇団では岸田國士戯曲賞の最終候補に2度ノミネート、さらに近年は若手芸人の賞レース『ABCお笑いグランプリ』や『UNDER5 AWARD』にて審査員を務める――芸人からもお笑い好きからもその異才にたしかな信頼を寄せられる、かもめんたる・岩崎う大。その半生は、いくたびもの挫折と巡り合いによって前に進んできた。初の自伝的エッセイ『かもめんたる岩崎う大のお笑いクロニクル 難しすぎる世界が僕を鬼才と呼ぶ』(扶桑社)を上梓した岩崎に、人生のTHE CHANGEを聞いた。【第5回/全5回】

エッセイ『難しすぎる世界が僕を鬼才と呼ぶ』の序盤に、こんなエピソードがある。
小学校の作文の授業で、原稿用紙4枚におよぶ大作を書いた岩崎少年。ところが先生から「う大の作文は長いだけだ」と酷評され、ひどく落ち込む。そんな息子に母は学習参考書を見せ、作文の勘所を教えてくれた。次からマシなものを書けるようになったが、「テクニックを教えてもらってできるようになっても、なんだかなぁ」と残念な気持ちになった――このことを岩崎は「その頃には言語化できない感覚だったが、それは『俺は天才ではなかった』という嘆きだったのだと思う」とつづっている。
同書ではたびたび「天才」「才能」「個性」といった言葉が登場する。10代後半でお笑いを始めて以来、嫌と言うほど向き合ってきた言葉だろう。
「多分、ほとんどの芸人はお笑いを始めてから“自分は思っていたほどの天才ではないんだ”って気付いているはずなんです。だけど同時に、“まだ自分の限界じゃない”とも思っている。そしたら、そこから先を掘っていくのは自分次第なんですよね。そこで大事なのが、とにかく打席に立つことだと僕は思っていて。ネタってラッキーパンチ的なところがあるんですよ。良いネタができる瞬間というのがあって、たとえば僕らが『キングオブコント』で優勝したネタだって、“もしあの日あの時間にパソコンに向かっていなかったら生まれてなかったかもしれない”と思ってるんです」