演出家として、ミュージカル、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎などジャンルを問わず幅広く作品を手掛ける宮本亞門。その「THE CHANGE」には大切な母との別れがあったーー。【第1回/全2回】

宮本亞門 撮影/柳敏彦

 演出家になったきっかけは、高校時代に引きこもりになったことです。新橋演舞場の前に喫茶店があるのご存じですか? あの喫茶店、うちの親の店なんです。子供の頃から、演舞場の楽屋にコーヒーやサンドイッチを届ける出前を手伝っていました。歌舞伎、新派、新国劇などを裏側から見ることができて、面白いなって子供ながらに感激していました。舞台に興味を持つようになったことは、母が松竹歌劇団にいたことも影響が大きかったと思います。

 そんな環境がきっかけになって、幼い頃から大人の文化が大好きでした。僕自身も幼稚園では日舞、小学校で茶道を習って、中学校では仏像鑑賞が好きになります。当時の僕のアイドルは十一面観音とか月光菩薩でした。とにかく仏様が好きで、その美しさにホレていましたね (笑) 。

 当時の夢は日本美術史研究家になること。好きなことをしている時間が、一番幸せだったんです。

 ただ、こんな子供、かなり変わっていますよね。気づいたらどんどん友達がいなくなってしまって……。同年代の子供たちは、テレビを見て「百恵ちゃん、かわいいね」って言っている頃に、僕はまったく興味がないですから、話が合わない。すると、学校にもなじめなくなり、高校生のときには引きこもりになってしまったんですよ。

 ただ、そんな生活の中で、家にあったレコードを何回も何回も聞き続けていました。そこにはミュージカル作品のレコードもありました。すると、今度はミュージカル作品に魅了されます。もともとも舞台を見るのも好きだったことから、自分は将来、演出家になりたいと決意を固めました。